

12月16日(水)第40回佛立研究所・研究員会議が開催され、弘通研究部門から大阪・清風寺、西村清良師から小発表があり、テーマは『佛立青少年アンケート』から見える青少年に対してご信心の影響を与えた人と、その人の印象に残った言葉の集計と解析が発表された。
8月20日(木)第37回佛立研究所・研究員会議が開催され、小発表を教学研究部門から、兵庫・妙宝寺、野口清継師の小
発表があり、「高祖当時の武家信者における主君の立場の一考察」というテーマのもと発表がありました。
また、去る7月7日、(財)全国青少年教化協議会主催による「協働コーディネーター養成講座」~お寺と地域をつなぐコーディネート力を磨く~と題した参加体験型の講演会に参加した、和歌山・妙経寺、吉川廣京師と大阪・清風寺、西村清良師より参加報告がありました。![]()
7月15日(水)第36回佛立研究所・研究員会議が開催され、小発表を教学研究部門、弘通研究学部門よりそれぞれ、東
京・立正寺、小川立恵師、神奈川・妙深寺、長松清潤師の二師から小発表があり、それぞれ「「第二世講有日聞上人のご事跡をお偲びして」~鶴松堂日記を中心に~、「佛立co-op 佛立的ライフスタイルをもっと社会へ」~信で結ばれた社会活動~、というテーマのもと発表がありました。![]()
6月24日(水)第35回佛立研究所・研究員会議が開催され、小発表を教学研究部門から、弘通研究学部門より、大阪・清風寺、西村清良師、また熊本・長薫寺、高須昭因師の二師から小発表があり、テーマは西村師より『ペット霊園
・納骨堂』というタイトルで、 宗内外における現在のペットの納骨・回向事情と今後の課題と問題点を、高須師からは『「口唱とお看経」につて』というタイトルでお看経の語義とその変遷、定義に対する再認識と実践のあり方について発表がありました。
佛立研究所(所長・植田日事師)による公開講演会が、去る5月23日、名古屋佛立寺(住職・面家日瑩師)を会場に開催された。公開講演会は今回で30回目となるが、広く一人でも多くの方に聞いていただこうと、宗務本庁外での開催となって4回目である。当日は第三支庁長・妙典寺住職・奥山日典師、管内寺院の御住職また修学塾の協力もいただき教務師方も多数参加され、寺内外のご信者、宗外の方も含め約250名が聴講され会場は埋め尽くされた。
今回の講演会講師は、新潟大学大学院医歯学総合研究科教授・安保徹先生をお招きして講演をいただいた。先生は、昭和22年(1947)青森県生まれ、東北大学医学部卒業。アメリカ・アラバマ大学留学中の昭和55年(1980)、「ヒトNK細胞抗原CD57に対するモノクロナール抗体「Ler-7」を作製。昭和64年(平成元年、1989)、胸腺外分化T細胞の存在を発見。平成8年(1996)、白血球の自律神経支配のメカニズムを世界で初めて解明。平成11年(1999)、世界の「マラリア感染学」の常識を塗り替える発見を発表。平成12年(2000)、世界中で約百年にわたって胃潰瘍の原因が胃酸であるとの定説を覆して注目される。二百を超える英文論文を発表し、国際的にも活動。専門は国際感染医学、免疫学、医動物学分野であられるが、人はどうすれば健康になれるか、という医学上の問題を解き明かされると同時に、人はどうすれば幸せになれるのか、生き方が変わらないとがんは治らない、という医学見地から人生観も語られる。
世間では新型インフルエンザの感染が拡大するなか、当日は「健康と免疫」と題して先生が積年研究されてきた一端を講演いただいた。
私たち人間は約38億年かけて進化しさまざまな能力が備わっているが、能力の限界を超える過酷な環境や状況、生き方を選んだときに病気にりやすく、病気になった一人ひとりが“生き方”を見直さないと病気からは脱却できない、と終始一貫して生き方の見直しを語られた。特に慢性疾患や難病に罹るのは、必ず今までの生き方に因果関係があるのだから、小手先の治療ではなく、原因をよく追って悪いところを根本的に正していかないと、結局完治しないと明言される。今回の講演では、人の“生き方”の改善がより自分をよくしていくこと、そして、単に肉体の病気・健康という医学の枠だけではなく、人間の幸不幸は生き方に因果関係があることを、普段信心第一に悦び勇んでご奉公させていただく日常信行の優位性を再確認することができたのではないだろうか。
佛立の場の実践を通じて、佛立宗的人生観の優位性を再認識することができたのではないか。
また、人の病(苦しみ)を取り除くための、悪に対する根深い原因の追求ということからも、私たちの日常の信心生活に対し、いかに普段から凡夫の罪障感をもって、謙虚に信心修行の功徳を積ませていただく大切さを感じることができた。肉体と精神の双方を見直し、“生き方のバランス”を保つことが、日々健康でご信心ご奉公をさせていただくためのヒントと学ばせていただいた。質疑応答の後、最後に第三支庁長・妙典寺住職・奥山日典師より挨拶、研究所副所長・河内良説師の閉会の辞をもって講演会は無事終了。参加者の多くがロビーに設けられた購買所で安保先生の著書を購入し、その場で直筆のサインを受けながら散会となった。
5月14日(木)第34回佛立研究所・研究員会議が開催され、小発表を教学研究部門から、大阪・安国寺、宮武昇立師、また弘通研究部門より、和歌山・一乗寺、河内良説師の二師から小発表があり、テーマは宮武
師より「陽に説く御法門について」というタイトルで、河内師からは「教弥実位弥下の下種の法」というタイトルで発表がありました。
4月9日(木)第33回佛立研究所・研究員会議が開催され、小発表を教学研究部門から、福岡・本法寺、向井淳報師、また弘通研究部門より、伏見・妙福寺、松本現薫師のあわせて二師から発表がありました。それぞれのテーマは向井師より「仏教の共生的世界観と憲法の平和条約」というタイトルで、松本師からは「現代弘通の成功例と教務像」というタイトルで小発表がありました。
去る、3月26日に佛立研究所・佛立教育専門学校との共催で「第18回研究発表大会」が開催された。
その中で特別講演として、山田洋次監督作品映画『学校』のモデルになった、東京都墨田区立文花中学校・夜間学級嘱託として教鞭をとられている、見城慶和先生をお招きし講演いただいた。タイトルは「学ぶ楽しさ素晴らしさ」-夜間中学での出会いや学びから-
である。
「夜間中学(夜間学級)」とは、戦後間もないころ、家の手伝いをしたり、働きに出されたりして昼間の学校に通 えなかった子どもたちのために開設された学校。当時は学齢の生徒がほとんどであたが、 現在は様々な事情で「教育」を受けられなかった人々(義務教育を終えられなかった人、十分に勉強ができなかった人、日本語を学びたい人たちなど)が、年齢・国籍に関係なく学んでおり「夜間中学」は注目を集めている。その第一人者が見城先生である。
柔らかい口調と心地よい声のトーンで公演は始まった。見城先生が教師を目指そうと思ったきっかけが、小学校4年生の時の担任の先生が語った言葉によるそうである。日本が戦争に負けて、諸外国が軍備をしっかり固めているのに対して、日本は戦争を放棄して、軍隊がなくなり誰もが不安を感じている頃。先生は、「皆さん、軍隊がなくなっても少しも不安を感じる必要はありません。戦争を放棄して世界中の人と仲良くするのですから、少しも心配する必要はありません」というような趣旨のことを、やさしく、また、毅然とお話をされ、子供心に感動を覚えられたとのこと。そして、将来はあのような素敵な先生、教師になりたいと思われたとお話し下された。その後、見城先生は教師を目指すべく、東京学芸大に進学して、教師への道を歩んでいくことになる。
ところが在学中に60年安保闘争に共鳴して、運動を沢山の同志と共にすることになる。しかし、安保闘争に敗れ、挫折して教師への道を断念しかかっていた頃、一冊の本に出会う。それは夜間学級についての本。これを見て「こういう憲法違反の学校があるからいけない、昼間、子どもが学校に行くことを妨げているのだ」と思い、実際に夜間学級を見学に行かれた。ところが、教育を受けたくても受けられない子どもが、喜んで生き生きとこの学校に通い、勉強している姿に接する。逆に、ここで先生として働き、ひとを育てたいと思われるようになり、1961年、志願して荒川九中に奉職。それ以来、42年勤められるのである。退職後も、「えんぴつの会」を立ち上げ、教育を受けられなかった人たちにいろいろな事を今現在も教えられているとのことである。
先生のお話の中からは、平和と平等、差別なき社会を願い、困っている人があればいつでも助けたいという、いわば「菩薩」の心があることがくみ取れた。また、宮沢賢治の詩が口をついて出てきて、賢治の考えと生き方に共鳴を覚えておられるようである。
ところで、公演の資料としていただいたプリントに記載された作文の一節に、戦争や貧乏で学校に行けなかった方の『私は思い出した』というタイトルの作文がある。
『いま、うちの息子は33歳ですが、その子が小学校4年生ぐらいの時でした。学校から帰って宿題の算数をやっていました。私はそれを見て「あんたなにをやってるの。1234と書いてあるのはわかるけど、横の方に小さくばつや、じゅうと書いてあるのは、おかあちゃんにはちっともわからないわ」と私はいいました。すると子供は、「いまこれがおわったら、おしえてあげるからちょっとまっててね」といったことがありました。
今こうして九中二部でおしえていただいて、あの時のあれは算数で、たす、ひく、かけるのきごうだったことがわかりました。なんて情けない、だらしない親だったのでしょう。今はこの学校に来ていろいろ教わって、少しずつわかるようになってきました。
ここに来なかったら、なんにも知らないまま年をとっておわったかもしれません。九中二部の先生方は、私にとっては目のお医者さんでもあります。だんだん目が見えるようにして下さいます。先生これからもお願いします。』
このような作文を読むにつけ戦争のつめあとは、今も残っているということを感じた。 更に、見城先生は、現代の教育に対して警鐘を鳴らされた。先生は「夜間教育は、失われしまった教育の機会を取り戻すために、また、外国の人の為に日本語の教育はじめ、いろいろなことをゆっくり、時間をかけて教えていきます。新しいことを知る喜びで、みな笑顔で学校に入って来ます。また、教える方も喜んで教える。教えたい人が、教わりたい人に教える。教える方も、教わる方もワクワクしながら授業が行われ、学びが創られていいますと・・・教育の本質が夜間学校にはちゃんと、息づいているのです。」と語られた。
今回の公演では、見城先生の教育の現場である夜間学級での生徒たちとのふれあいと、そこで感じられた人間の可能性について教えていただいたように思う。人は一人一人違い、だから生きる速度も異なる。学ぶ速度も成長する速度も異なる。そうした生徒一人一人に寄り添いながら、教師と生徒の間に「感動」が生まれるのであると感じた。
お互い教務もご信者も、こうした感動し合えるそして、喜びに満ちた信行ご奉公の現場作を目指さなければならないと、改めて思う次第である。
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