○「真の尊敬」と「自ら求め続ける心」を 
 
 先月号では、日蓮大士のみ言葉をいただき
ながら、お祖師さまご自身が法華経の常不軽(じょうふきょう)菩薩品第二十に登場する常不軽菩薩の修行を自らのお手本とされたことや、法華経の御文の上での不軽礼拝行(らいはいぎょう)を紹介させていただくとともに、本尊抄の「不軽菩薩は所見の人(にん)に於て仏身を見る」の御文もいただいて、「仏性(ぶっしょう)礼拝」とは言うものの、現実には「生身(なまみ)の相手の人そのものを敬い拝む」ものであり、それが大切であることを申しあげました。   
 さてこの「尊敬」ということについて、私は以前服部日入師から紹介された『教えるということ』(大村はま著・共文社)によって随分考えさせられました。

 著者は昭和3年に東京女子大を卒業後、旧制の高等女学校から戦後は新制中学で国語科を担当、昭和38年には「ペスタロッチ賞」を受賞、昭和55年の退職まで「現場」を離れなかった方です。『教えるということ』は、昭和45年、富山県教育委員会の依頼によって、まだ教師になって間もない小中学校の先生達に対して行った講演の演題で、同書にはこの時の講演の他いくつかの講演録が収められています。昭和48年の初版以来十年間だけで26刷を重ね、読み継がれている本だけに、一読して胸を打たれ、自然に頭が下がる思いがいたしました。まずその内容を部分的ですがそのまま紹介いたします。   

  ○『教えるということ』よりの技粋
 
 ①「教師はやっぱり子どもを尊敬することがたいせつです。さしあたり年齢が小さくて、先に生まれた私が先生になりましたが、子どもの方が私より劣っているなんていうことはないんです。劣ってなんかいないんで、年齢が小さいだけなんですね。子どもたちを心からたいせつにするということはそういうことを考えることです。それは小さい子どももそうではないかと思うんです。実にすぐれたものやいい気持ちを持っていまして、とても自分の相手ではないんです。私の教えている子どもがみんな私より上でなくて、私ぐらいのところでとまったらどうしましょう。たいへんですね。ですから、子どもはほとんど全部教師よりずっとすぐれていると思って間違いなしです。そういう敬意といいますか、尊敬を心から持って、この宝物をたいせつにしたいと思います。年が小さくて子どもっぽいのに気がゆるんで、ことばが乱れたり、態度が乱れたりすることはこわいことだと思います。子どもは白紙の心でじっとみなさんをみつめ、そしてみなさんを尊敬しています。年が上だから尊敬するようになっているんです。実際には、私たちよりも、もっともっとすばらしい人がたくさんいる、年が小さいがゆえにわが教え子となってそこにいるにすぎません。それは、日に新たに考えていなければならない子どもへの敬意だと思います。『子どもを大事にする』とよく申しますけれども、やさしくすることくらいのことは敬意を表すことにならないので、『この子は自分なんかの及ばない、自分を遠く乗り越えて、日本の建設をする人なんだ。』ということを授業の中で見つけて、幼いことを教えながらも、そこにひらめいてくるその子の力を信頼して、子どもを大事にしていきたいと思います。
 自分が敬意を持っていないと、子どもを大事にすると言いながら子どもを甘やかしていることがあると思うのです。『甘やかし』と『敬意』とはたいへん違うと思います。」〈「ほんものの教師」同書55頁~46頁〉
 

   ②「教師としての子どもへの愛情というものは、とにかく子どもが私の手から離れて、一本立ちになった時に、どういうふうに人間として生きていけるかという、その一人で生きていく力をたくさん身につけられたら、それが幸せにしたことであると思いますし、つけられなかったら子どもを愛したとは言われないと思います。親も離れ、先生もなくなった時、一人で子どもがこの世の中を生きぬいていかなければなりません。その時、力がなかったら、なんとみじめでしょうか。国語の教師としての私の立場で言えば、その時、ことばの力が足りなかったらいかにみじめかと思います。平常の、聞いたり、話したり、読んだり、書いたりするのに事欠かない、何の抵抗もなしにそれらの力を活用していけるように指導できていたら、それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思います。(中略) 子どもをかわいいというんでしたら、子どもが一人で生きるときに泣くことのないようにしてやりたいと思います。今のうちなら、たとい、勉強が苦しくて泣いていたってかまわないのですが、いちばん大事な時に泣かないようにしてやりたいと思います。今日のこの幸せの中にいる時には、頭をなでてもなでなくとも同じことだと思います。人で生きるときに、不自由なく、力いっぱい生きていける、そういう子どもにしていかなければ子どもは不幸です。子どもを不幸にするようなことをしていて、愛情をもっていたのだと言ってみてもどうなりましょう。」〈「真の愛情とは」同書90頁~92頁〉   

  ③「私はまた、『研究』をしない先生は、『先生』ではないと思います。(中略)つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。(中略)研究ということは『伸びたい』という気持ちがたくさんあって、それに燃えないとできないことなんです。(中略)なぜ研究をしない先生は『先生』と思わないかと申しますと、子どもというのは、『身の程知らずに伸びたい人』のことだと思うからです。いくつであっても、伸びたくて伸びたくて……、学力もなくて、頭も悪くてという人も伸びたいという精神においてはみな同じだと思うんです。一歩でも前進したくてたまらないんです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている。その塊(かたまり)が子どもなんです。勉強するその苦しみと喜びのただ中に生きているのが子どもたちなんです。研究している先生はその子どもたちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず『先生』としては失格だと思います。子どもと同じ世界にいたければ、精神修養なんかじゃとてもだめで、自分が研究しつづけていなければなりません。(中略)いっしょに遊んでやれば、子どもと同じ世界におられるなんて考えるのは、あまりに安易にすぎませんか。そうじゃないんです。もっともっと大事なことは、研究をしていて、勉強の苦しみと喜びとをひしひしと、日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が胸にあふれていることです。私は、これこそ教師の資格だと思うんです。 私は長い間教師をしてきましたけれども、『研究』から離れませんでした。今でも、話ししやすい先生として子どもといっしょにいられるということは、それによると思うんです。そして今、ことに、年をとった今は、子どもと離れないようにと、いっそう研究に努力しております。(中略)もう40幾年も教員をやっていれば、かっこよくやりたければ、何でもやれます。およそ困ることがないといえばいえるでしょう。どんな古い方法でも、今までやった方法ででもよかったら、すぐにでもやれます。けれども、それでは老いてしまうと思うんです。それは精神が老いてしまうことです。」〈「教師の資格」同書20頁~23頁〉

  紹介が少し長くなりましたが、1度はそのままお読みいただいた方がご理解いただき易いと存じます。①と②は「真の尊敬」の意味であり、③は「研究」つまり「自らも求め続ける心」の大切さを訴えています。私はこの2つの心は不軽菩薩の心、不軽流の礼拝・折伏行の意(こころ)に通底すると存じます。不軽菩薩は「我(われ)深く汝等(なんだち)を敬ふ、敢(あえ)て軽慢(きょうまん)せず云々」と行きあう人すべてを礼拝し讃えました。大村先生は「子どもはほとんど全部教師よりずっとすぐれていると思って間違いなしです。そういう敬意といいますか、尊敬を心から持って、この宝物をたいせつにしたいと思います。(中略)やさしくするくらいのことは敬意を表することにならないので、『この子は自分なんかの及ばない、自分を遠く乗り越えて、日本の建設をする人なんだ。』ということを授業の中で見つけて云々」と仰っています。
 
 お役中が自分の組内の新入信者や若いご信者に対して、また親が法燈相続させるべき子に対して、同じ敬意を持っているでしょうか。
「私は何とかここまでご信心をいただいてきたが、他のご信者にはそこまでは無理だろう」とか「自分はともかく、子にはとてもそこまで求めるのは酷だ」とか思っているとしたら、それはとんでもないことです。そんな方でも例えば世法上のことなら別の考え方をします。「私は残念ながらろくに学校も行けなかったけれど、子供だけは何としても大学まで行かせたい」、「私はここまでしかなれなかったが、子供には私などより立派になってもらいたい」と思うでしょう。ご信心で不軽流というのなら、「私は残念ながらまだこんな信心前でしかないけれど、あなたには私など乗り越えてもっともっと立派な信者になってもらいたい」、「私程度で止まってもらったら大変だ。もっと先に進んでもらう人だ」と思い、そのように育てるべく全力を尽くさなくてはならないはずです。      
   
  このような「相手への尊敬」こそ不軽流の第1の要件だと存じます。そこに求められるのが「甘やかし」ではない「真の愛情」であり「慈悲の折伏」なのです。大村先生が「子どもをかわいいというんでしたら、子どもが人で生きるときに泣くことのないようにしてやりたいと思います。今のうちなら、たとい、勉強が苦しくて泣いていたってかまわないのですが、いちばん大事な時に泣かないようにしてやりたいと思います。(中略)子どもを不幸にするようなことをしていて、愛情をもっていたのだと言ってみてもどうなりましょう。」と言っているのはまさにこのことだと存じます。相手の本当の幸せのために、全力を尽くして教え鍛えるわけです。開導日扇聖人が御教歌で「愚かなる親は己(わ)が子をかあいとて あまやかすのはにくむ也けり」と戒められるのも実にこの点に他なりません。厳しい親だ、厳しい役中さんだと思われ、時に反発や憎しみの対象になったとしても、相手の将来を思えばこそ教え鍛えることが、真の愛情であり、慈悲だというのです。「折伏は慈悲の最極(さいごく)」というのはこうしたありようをいうのであって、決して安易なものではないと存じます。
 不軽流でもう一つ大切なのは「自らも求め続ける努力」です。大村先生は先の③の中で「私はまた、『研究』をしない先生は、『先生』ではないと思います。(中略)つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。(中略)一歩でも前進したくてたまらないんです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもなんです。(中略)研究している先生はその子どもたちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず『先生』としては失格だと思います。(中略)自分が研究しつづけていなければなりません。」と言っています。 尊敬し愛する相手を教え導こうと思えば、相手と同じ心、同じ世界にいなくては真の心の交流(ご信心ではこれを「感応道交(かんのうどうきょう)」と申します)や共感はありません。そこで必要とされ、求められるのが、先生なら「研究」し続けることであり、お役中なら「自らも求め続ける心」つまり「求道心(ぐどうしん)」なのです。いわれてみれば確かにその通りです。親や役中が、子やご信者に対していくら「ああせよ」「こうせよ」と言っても、自身がいい加減な心や姿でいては、これは通じません。「昔は私も頑張ったんだ」といっても今が駄目ならこれも通じません。やはり本人に真摯な求め続ける心と努力があってこそ相手に伝わるものがあるのです。その点このご信心は「仏身に至(いたる)まで」、「生々世々(しょうじょうせせ)菩薩の道(どう)を行じ」る果てのないものですから、年齢や信歴に関係なくどこまでも求め続け、精進し続けることが可能です。「もとより罪根甚重(ざいこんじんじゅう)の凡夫であることの自覚」を忘れないことも「求め続ける心」を支えます。そしてこうした心得は、もちろん「教師」たる教務にも一層厳しく求められている“資格”だと存じます。受持ったご信者や自分の子供達が将来人で生きていくとき、「厳しい人だったがこの信心のおかげで生き抜いていける」とでも思ってくれれば、それこそ役中冥利に尽きることだと思うのです。