―導師の言上の練習も大切―

○お役中が導師を勤める際の留意点


清風寺教育部が初の「組長研修会」を開催したのが平成13年4月で、以来もう2年が経過しました。年間7回、2年で14回を1クールとし、1月から3月、8月と12月は休講ですが、他の月は原則17日の夜7時から8時半までの1時間半、予め決めたテーマに従ってテキストを作成・配布して講義や実践を行ってきたのです。今年は6月16日のみ日曜の午前中でしたが、他は皆平日の夜です。それでも最も多い時には300名を超える受講者が、平均でも200名前後の加行者(けぎょうしゃ)が毎回あったことは、開催者側にとっても大きな励みでした。因みに今年のテーマは次の通りでした。

4月 「法燈相続について」

5月 「結縁・教化・育成について」

6月 「お給仕Ⅰ」(御宝前のお給仕)

7月 「口唱について」

9月 「御布施・諸有志について」

10月 「お給仕Ⅱ」(御講席・御講師の給仕)

11月「まとめ」


こうしたテーマに即しつつ、講義だけでなく、質疑応答の時間もできるだけ取り、またお助行や逮夜回向等の導師の勤め方の実践、御講席でのご披露の実践なども可能な範囲で実際にしてもらい、御尊像のお給仕の仕方などはお教務さんを御尊像に見立てて、お塵払いやおかとうのお給仕のさせていただき方も指導し、半紙の使い方などもテキストでの図面の他、新聞紙などで折り方を実演したのです。


また昨年も今年も加行者(けぎょうしゃ)のアンケートを取り、それも可能な点は活用・参考にしました。

 こうしたことを通じて講師側も随分と勉強になりました。特に改めて実感したことは、基本的・実践的な指導がいかに大切か、また講義にしても具体的なことや基本的なことを明瞭に教えることがいかに大切か、ということでした。


今月はそうしたことの一つとして、導師を勤める際の大切な留意点について、いくつか記しておきたいと存じます。


昨年の研修会において『お助行・回向・差定・言上文』(組長用)を作成・発行し、寺内の全組長等に無料で配布しました。内容は①お助行②逮夜回向③臨終のお看経(枕看経)④納棺⑤「収拾(取)舎利」の五種の差定・言上文(さじょう・ごんじょうぶん)で、その使用方法については「あとがき」に次のように記しました。


「この冊子は、清風寺教育部が中心となって実施した平成13年の『組長研修会』を通じ、研修加行者の要望などに基づいて作成・刊行されたものです。

 『妙講一座』等の要文(ようもん)は、各種の差定・言上文で重なるものもありますが、重複をいとわず掲載しています。これは不慣れなご信者が導師を勤める場合も想定したためです。

 『言上文』や、おリンを入れる所は、導師によってある程度の異同があってもかまいません。最も大切なのは、心を込めて導師を勤めさせていただくことです。この冊子の差定・言上文を一つの基準として、各人が努力し、活用いただければ幸甚です」


要は、無始已来から無始已来まで頁を追ってそのまま拝読していけば一座のお助行やご回向ができるようになっており、リンを入れる位置も○印で示してあって、省略してもいいところもその旨記してあるのです。しかし、それでも実際には、不慣れな人にはそれなりの練習が当然必要です。ですから研修会での実践では、おリンはどの場所あたりに置いた方が勝手がいいか、息つぎはどうするか、木琴(もっきん)や拍子木(ひょうしぎ)はどう打つか、お供水(こうずい)はどういただくか、そんなことも導師をしながら、テキスト通り言上・拝読しながら教えたのです。


そこでまず第一に身に付ける必要を感じたのは『妙講一座』や『如説修行抄』の要文(ようもん)の文言(もんごん)をまずはとにかく正確に発音し、拝読することができるようになることです。大勢で拝読している時は、少々いい加減な読み方をしていてもあまり問題になりませんが、それだと自分が導師を勤める時にはちょっと困ったことになります。自信を持って声を出せませんし、誤っていることも他の人にわかってしまいます。
もしも自分が誤っているのにそれに無頓着に導師をしていれば、それを耳で聞いている他の参詣者に誤った拝読の仕方や読みを教えてしまうことにもなります。実際古くからのご信者・お役中で、導師にも慣れた方でさえ、よく聞いてみると随分いい加減な言上・拝読をなさっていることは意外に多いのです。それはやはり「聞き覚え」で不正確なものを覚えてしまい、そのまま今日まで疑問も持たずにきてしまったからではないかと存じます。決して細かなことにこだわるつもりも、いわゆる「重箱の隅をつつく」ような真似をするつもりもありませんが、試しに間違い易い所を次に挙げておきますので、念の為に自己診断をしてみてはいかがでしょうか。


◎如来滅後の御文

・「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」

・「万民の大地(だいぢ〈じ〉)に処して雲閣月卿(うんかくげっけい)を」

◎標題(品題〈ほんだい〉)

・「方便品(ぼん)第二」「従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五」

・「普賢菩薩勧発品(かんぼっぽん)第二十八(廿八)」

◎如説修行抄第六段

・「自受法楽(じじゅほうらく)せん時」

・「受持(じゅじ)の者を擁護(おうご)し」

◎南無久遠の御文

・「十方分身(ふんじん) 三世(さんぜ)諸仏」

・「千世界(せんぜかい)」

・「大師先徳(だいしせんどく)」「蓮師大士(れんしだいじ)」

・「大梵天王(だいぼんでんのう)」「四大天王(てんのう)」

・「地神水神(じじんすいじん) 円宗(えんじゅう)守護」

・「天長地久(てんちょうじきゅう)」「恒受快楽(ごうじゅけらく)」


右の諸点、目をつむって自分の平生の読み方や無意識で習慣となっている発音と比較対校してみてください。もしも、一つも相違がなければ大したものだと存じます。私自身、以前は誤って発音していたところもあります。


それにつけても思うのですが、「看経(かんきん)」とはよく言ったものです。これは元来は経文をちゃんと看(み)て拝読する意ですから(当宗では御題目をお唱えすることを中心とする意ですが)。やはり、『妙講一座』や『修行抄』も、暗記していたとしても、できるだけ平生からきちんと御文を拝見しつつ正しく頂戴することが大切だということを改めて教えられます。

 

 

   なお『妙講一座』等も、現在宗内には各種出されておりますが、中には校正が正しくできていなくて誤字や誤ったルビの付されたものもあるようです。できれば宗務本庁から出された、あまり古いものでない折本の『妙講一座』を基本としていただきたいと存じます。ただそれでも「ぢ」「じ」の片名遣いは、新しい内閣告示には必ずしも準拠していません。しかしこれは歴史的な面もあり、ある程度は致し方ないのではないかと存じます。


清風寺教育部が刊行した前記『差定・言上文』に関していえば、引用の要文は宗門の刊本に準拠しつつ、「ぢ」「じ」等についてのみ現代片名遣いに改めています。さらに付記すれば、もしも本庁から出されている刊本を全文そのまま写して無断で刊行したりすれば、当然版権等に触れることとなります。『差定・言上文』は、その点、導師がそのまま言上・拝読できるよう「言上文」とあわせて出させていただいたものですので、何とかお許しいただけるのではないかと存じます。