―育成に「手入れ」の感覚・観点を―
○「佛立菩薩を増やそう」のスローガンで
前回まで2回にわたって、「『憶持不忘(おくじふもう)』と『勇猛精進(ゆみょうしょうじん)』」のテーマで、日蓮聖人の「善知識(ぜんちしき)」の把(とら)え方や、当宗の「受持(じゅじ)」(憶持不忘)が、難に値(あ)うことを覚悟しての受持であり、そのように持(たも)ち難い[此経難持(しきょうなんじ)]にもかかわらず、不退転で忍難弘経(にんなんぐきょう)に励ませていただくところに「勇猛精進」の真骨頂があることを、『開目抄』や『佐渡御書』、そして『如説修行抄』の御文をいただきながら拝見いたしました。そして開導聖人の御教歌・御指南によりつつ、「憶持不忘」と「勇猛精進」を現代のお互いに即していえば、「おのが心の敵(かたき)」である「心内の三類」[貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)]の三毒(さんどく)や疑迷(ぎめい)・不信・懈怠等の謗法)に打ち克ち、信心を忘れぬように信行に勤(いそし)ませていただくことが、いわば「せめてものいただき方」ではないか、と申しあげました。
なお、「憶持不忘」(受持)については次のような御指南もありますので紹介させていただきます。
「信心起(おこ)りて持(たも)ち奉る時は、唱へ死(じに)と思ひ定むるなり。持つとは暫(しばら)くも心にわすれずあるを云(いう)也。忘るゝ間なきを持つと申すなり。(乃至)忘るゝ間なくば懈怠起(おこ)らず、悪念おこらず、悪友にさそはれず。(乃至)持つは、うち任せ奉る也。故に忘れだにせずば時々(じじ)御守護也」
(御抄教拝見二・扇全11巻189頁)
さて、今回は「育成」がテーマです。このテーマに関連するものとしては、このシリーズの⑱(平成15年6月号)「法燈相続の大事(1)」―「あとつぎづくり」と「信教の自由」―で、いわゆる法燈相続を念頭に置いて記しており、また③(平成14年1月号)の「不軽菩薩の心をいただく」(2)―「相手に対する真の尊敬」と「自ら求め続ける心」を大切に―も関係します。併せてご覧いただけたらと存じます。当然重なる部分もあるわけですが、できるだけ重複は避けたいと存じます。
さて本年(平成17年)は「佛立開講150年」の奉賛ご奉公も第三年度、ご正当の前年にあたり、「本山記念参詣」(今年は7布教区)も始まります。
すでにご承知のごとく、宗門は目下、ご開講の本旨を体し、「御講から弘まる」をメインテーマに、「弘まる御講」となるべく宗門を挙げて“御講の改良実践”に努めているところですが、新年の『年頭のことば』で講有上人は次のごとく仰せです。
〈佛立信仰の原点は「祈り」であり、(中略)その祈りは「菩薩の祈り」「ご弘通の祈り」でなければなりません。(中略)
佛立開講150年奉賛ご奉公の「御講の改良実践」も、「佛立菩薩を増やそう」とのご奉公も、すべて「口唱の改良」にかかっていることを肝銘(かんめい)し、(中略)〉云々。
そして次の開導聖人の御指南を頂かれます。
「妙法五字は日蓮が神(たまし)ひと仰(おおせ)られたり。我等御弟子旦那等(おんでしだんなとう)此(この)菩薩行の御流(おんながれ)をくまん者、此要法五字(このようぼうごじ)を弘めんが為に身(み)を労(ろう)し、心を尽(つく)して、唱死(となえじに)にしぬるを、真実の御弟子旦那の見識(けんしき)と思ひ定むべき也」
(暁鶏論〈ぎょうけいろん〉上・扇全11巻95頁)
因(ちな)みに今年の宗門の「弘通方針」では「佛立菩薩を増やそう」をスローガンに掲げつつ次のように記されています。
〈「御講から弘まる」というメインテーマには、“御講の改良実践によって弘まる御講になり、それによって御法の弘め手が生れれば自(おの)ずとご弘通は進捗(しんちょく)する”という心がこめられています。(中略)
“御講の改良実践”については①「参詣者を増やす」こと、そして、目ざすべき“ご弘通の成果”とは②「教化」(新しい教化親を増やす運動)と、③「育成」(新しい役中を生み、育てる運動)そして④「法燈相続」(法燈相続を確実にする運動)の実(じつ)をあげることと申せましょう。〉
また「宗務方針」でも山内宗務総長が、〔2〕の「弘通活動について」の中で、〈御講の改良実践を通じて、参詣者を増やし、新しい教化親を増やし、新しい役中を生み育て、法燈相続を確実にするご奉公を展開してまいります〉と記し、また〔3〕の「役中後継者養成と青少年の育成対策」でも、〈後継役中の養成と青少年の法燈相続は宗内の永遠の課題ですが、何としてでも実質的成果が上がるよう、リーダー研修会等を実施して促進をはかります〉と記し、さらに〔4〕では「教務の研修と意識改革」の大切さにも言及されているのです。
そもそも「教化」の語は「法華経」の中でも50回も使用されているという一事によってその重要さがわかります。その意は「教育感化(きょういくかんか)」「教導転化(きょうどうてんげ)」等だとされますから、本来の意に「教え育て、感化せしめる」「教え導くことによって人格を転じ変化せしめる」という意味があります。
特に「従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第15」には「教化」はもとより「化」「化度(けど)」の語が多出し、「教化衆生」(開結397頁)「教化令発心(りょうほっしん)」(同413頁)、「教化示導(じどう)」(同410頁)等と頻出します。仏の真実の教法たる妙法の教えによって衆生を感化し、発心せしめ、菩提・成仏へと導くことを指す語であるわけです。それはまさしく凡夫たる衆生を、凡夫ながらに菩薩へと転化せしめる営為に他なりません。つまり、妙法の受持信唱によって「凡夫を菩薩へと生まれかわらしめる」、これが「教化」の中身に他ならないわけです。このように、「教化」と「育成」は本来が一体不可分のものなのです。したがって「佛立菩薩を増やそう」とのスローガンは、当然ながら、教化と育成の両意を含むものであり、育成も重んじる本来の教化(菩薩行)の大切さを改めて提唱しているものだとも申せます。当宗の教えの内容はつまるところ「妙法の自唱他勧による菩薩行」であり、その目的は「菩薩行による自他の成仏、皆帰妙法・浄仏国土の顕現」です。そしてこのことは『妙講一座』の「五悔(ごげ)の要文(ようもん)」が「凡夫が菩薩(如来使)へと生まれかわる姿」を示すものであり(シリーズ⑬「懺悔[さんげ]の大事」(1)参照)、「宗風」が「弘通・教化に資し、浄仏国土顕現を期せんとする佛立信者のあるべき姿、佛立菩薩像を規範として宣明している」(シリーズ②参照)こととも通底します。
「育成」は、こうした「教化・菩薩行」の本意をよく踏まえ、これにそったあり方でなくてはならないわけです。
○「育成」に「手入れ」の感覚・観点を
「育成」に関する御教歌・御指南は実に多くあり、また観点・心得等も多岐にわたりますが、ここではまずその代表的なものをいくつか挙げさせていただきます。
御教歌
(1)「教弥実位弥下(きょうみじついみげ)」の心で
題・教弥実位弥下の六字に心をとゞめてこれを案(あん)ずべしと四信五品抄にあるを※「これを案ずべし」は「宝暦版」の文章か?
○奥深くわくる達者も足弱(あしよわ)の
ためには戻れ法(のり)の山口(やまぐち)
題・四五抄 教弥実位弥下の御(み)こゝろ
○中々にあゆまれぬ子はせなにおひ
つれてゆくこそおや心なれ
(2)甘やかさず厳しく折伏し鍛えよ
○愚(おろか)なる親は己(わ)が子をかあいとて
あまやかすのはにくむ也けり
○かあいさに気随(きずい)きまゝにそだておく
子の身ばかりの不仕合(ふしあわせ)なし
○折伏をせずにおくのは無慈悲なり
せめたればこそ信者とはなれ
○よしや子がうらまばうらめおやなれば
気随気侭(きずいきまま)にそだてぬがおや
(3)お世話(手入れ)の大事
題・折伏は慈悲第一
○捨(すて)おかばおのれそだちにわるうなる
弟子も植木もせは(世話)しだいなり
○我宿(わがやど)の捨(すて)そだちなる菊の花
さかとんぼりにをどりてぞさく
○すておきて教える人もあらぬ子の
遊ぶをみれば悲しかり鳧(けり)
開導日扇聖人御指南
○「仏教に随自(ずいじ)・随他(ずいた)の二門あり。随自の時は、人の意(こころ)をかんがみて気入(きにい)り、いひたき事も云(いわ)ぬと云(いう)やうの事をせず。俗に曰(いわく)、づけ/\物いふ也。仏説のまゝを守る也。我(われ)をほめられ、世に用(もち)ひられんとするやうの弱きへつらひ少しもなし。(乃至)いやならおきな。頼んで持(たも)たす法でなし。頼むとならば授くべし。なれども幼稚に教ふることなれば、ことをわけて、おこ(怒)らぬやうに程よく論(ろん)[諭](さと)すべし。これ大慈大悲也」
(末法折伏の時也の事・扇全17巻10頁)
※随自意(ずいじい)…み仏がご自身のご本意に随い真実を説くこと。〔折伏〕
※随他意(ずいたい)…み仏が衆生(他人・相手)の心に合わせ随って説くこと。〔摂受(しょうじゅ)〕
○「持(たも)ち始(はじめ)は小児をそだつるが如し。気随気侭(きずいきまま)をさせぬやう、行儀よく謗法をあらたむべし」
(講談要義上下・扇全3巻268頁)
○「当機相応談(とうきそうおうだん) すてそだちの子にかしこきはなし。身を持(も)ちたる者まれ也。(乃至)愚人(ぐにん)をたらし育てにせしは悞(あやまり)也」
(鶏鳴暁要弁〈けいめいあかつきようべん〉下・扇全10巻156頁上欄)
○「当宗は折伏宗也。慈悲の最極(さいごく)也。
師匠はきびしきがよい。たらし随他に育(そだて)たる信者は皆経力(みなきょうりき)をしらず。親の教へは厳重なるが子の為也」
(和国陀羅尼〈やまとだらに〉・扇全14巻313頁)
○「物を教へるのには心をしづめてゆる と教へる事。(乃至)信徒に教へ置(おき)もと思ひて、心のみいら(焦)れすれども、かためて一度(に)教へていくものではなし。故に一口宛(ひとくちあて)、とっくりと合点(がってん)のゆく迠(まで)教へねば、生教(なまおし)へにては教へぬも同じ事也」
(名字得分抄(中)・扇全14巻131頁)
○「楠正成(くすのきまさしげ)の語に、ほめるときには必ずいましめの言(げん)をまぜよ」
(開化要談(宗)・扇全13巻368頁)
○「当講内は初心(しょしん)の人をそだつるを第一と心得(こころう)べき也。初心が後心(ごしん)になるもの也。謗法あらばあらく呵責(かしゃく)せず、よくわけのわかるやうに説き示すべし。謗法を見かくし聞(きき)かくしはする事叶(かな)はず。開山(かいさん)曰、謗法人たりとて憎むにあらず。地獄に落(おつ)るをあはれと思ふよりの折伏ならば、只強気(ただつよき)にいひはり、問答ごし(腰)になりて追ひちらすにあらず。其(そ)れ時による事也。もとの慈悲をわするゝ事なかれ」
※「開山」…門祖日隆聖人
(青柳厨子〈せいりゅうずし〉法門抄第二・前書・扇全3巻11頁)
○「されば堅信(けんしん)の行者より、堅信の子を生み出(いだ)す事肝要也」
(法場必携・扇全8巻233頁)
○「植木の性(しょう)、その地により、せわやきてかひあるとかひなきと、捨置(すておき)てよくそだつものとそだてにくきと種々(しゅじゅ)也。地も相応不相応あり。植木の性によりて同じやうにはいかぬ。(乃至)植(うえ)かへて付(つ)くまでが大事也。 信者教化も講元(こうもと)組長は植木やの如し。勉強し下(たも)ふべき也」
(誡勧〈かいかん〉両門・扇全5巻281頁)
こうして拝見させていただくと、新入の教化子やご信者、法燈相続の対象たる弟子に対しては、根本に慈悲の折伏の心(随自意)を踏まえながらも、親が子に対する親心で、親身になり、また初心者で未熟な相手の能力や性分(機根〈きこん〉)に合わせ、「位弥下の心」(シリーズ⑨⑩)で易しく少しずつ教え導き、育成していくことが大切であることがよくわかります。つまるところ「植木の性によりて同じようにはいかぬ。(乃至)植木やの如し。勉強し下ふべき也」ということです。植木屋は、植木の性分に応じて「世話」をし「手入れ」をして育てるのが仕事です。ところがこの「手入れ」の大切さを見失いつつあるのが現代人なのです。養老孟司(たけし)氏は、そのことを近著の中で次のように言っています。
〈「手入れ」は、自然とつきあうときにだけ必要なのではない。身づくろい、化粧、子育てなど、日常生活のあらゆる場面に関わって、いる。(中略)心の底に「手入れ」という気持ちがあるかどうかで、小さな判断すら変わってくる。「手入れ」とは、まず自然という相手を認めるところから始まる。(中略)自然は予測不能だと述べた。子供の将来を予測することは完全には出来ない〉
〈勿論「手入れ」というのは、だから加減がむずかしい。(中略)相手のおかれている状態を知り、これからどのように変化するのかを、あるていど予測しなければならない。それには対象と頻繁(ひんぱん)に行き来し、相手のようすに合わせて手の加え方を決めていく必要がある。(中略)「手入れ」と「コントロール」は違う〉
(『いちばん大事なこと』集英社新書100~102頁)
氏の言う「コントロール」は機械的な完全制御のことであり、換言すれば、こちらの思惑通りに相手を型にはめようとすることです。これに対して「手入れ」は、相手の特性を認め、現在の状態を見極め、さらに今後の変化も予測しつつ、しかるべき手を加えていくあり方です。人間も自然の一部ですから、当然そうあるべきだというわけで、この姿勢・観点は開導聖人が仰せの「植木の世話」「植木屋の勉強」と相通ずると存じます。「捨置き」「捨育ち」はいわば「手つかずの自然」「素っぴんの顔」であり、「コントロール」は「人工植林の杉山」や「整形の顔」に、「手入れ」は「里山」や「程よく化粧された顔」に当たるでしょう。「手入れ」を「育成」で申せば、いきなり、無理にこちらの思惑通りの信者の型にはめようとするのではなく、まず相手の資質や能力を認めつつ、その中に眠っている資質(仏性)を啓発し、自覚を促すよう、適切なお世話(手入れ・折伏)をして、次第に佛立信者へ、菩薩へと育ててゆくということになるでしょう。ただしここで注意すべきは、基本に慈悲の折伏心を忘れず、摂受(しょうじゅ)に流されないことです。
また適切な「手入れ」には、相手の情況の把握が不可欠です。「頻繁な行き来」の大切さはそこにあります。
さらに付言すれば、育成し、信心をつかませる要諦は「経力・現証」を感得させることです。そのためには「助行」に連れ参詣させることも効果的です。しかし何にせよ、実際に一つひとつ手を取って教えることが基本です。元来が「手入れ」には「努力・辛抱(棒)・根気」が求められるのです。参詣・お給仕・ご有志の仕方はもとより、お塔婆の申し込み方、祈願の仕方等々を、相手に付きそって一つずつ現場で教え導いていくことが大切なのです。「庭訓(ていきん)」というのは「家庭の教訓。躾(しつけ)」の意ですが、元は、孔子が庭を横切ってゆく息子の伯魚(はくぎょ)を呼びとめ、その都度一つずつ訓導していったことに由来する語だとされます(論語・季氏第16の第13段・岩波文庫377頁参照)。ご信者の育成にも、親が子に折りに触れてその都度一つずつ指導・訓育していく「庭訓」の姿勢、現場でまめに教えていくあり方が求められているのです。
最後に、近代になって作られたとされる諺(ことわざ)を一つ紹介しておきます。いわく
「三つ叱(しか)って五つ褒(ほ)め七つ教えて子は育つ」
『岩波ことわざ辞典』によれば「子供を叱るのは少しにし、多くほめてたくさん教えてやるのがよいということ」とあり、「可愛くば五つ教えて三(み)つほめて 二つしかりて善(よ)き人(ひと)にせよ」等の古歌などの影響もあるようだと付記されています。なお、同辞典の編集に携(たずさ)わった編集部が出した『ことわざの智慧』(岩波新書・別冊7)にはこうあります。
「誰しも叱られるより褒められる方がうれしいにきまっている。うれしければこれからも学んで行こうという気になろう。そういう気持ちを持ち続ける子がよく育たないわけがない。教育の極意というべきである。
三・五・七という奇数は良い数とされる。叱る、褒める、教えるそれぞれの割合を示しているのだが、厳密な比率をいうものではない。叱るのは褒めるより控えめに、といった程度の指標だろう」 (同書・155頁)
なお東京工大名誉教授の芳賀綏(はがやすし)氏は近著『日本人らしさの構造―言語文化論講義―』(大修館書店・平成16年11月刊)の中で、次のように指摘しています。
〈アジアも含めた諸外国の対人意識・文化が凸(とつ)型であるのに対して日本の文化・対人意識は概して凹(おう)型である。それは「やさしさの対人意識」であって、相手を傷つけたくない、相互依存を前提としている。そしてそれは相手を傷つけないかわりに自分へのいたわりを求める甘えも含んでいる〉(取意。正確には同書40頁以下参)。このように基本的に攻撃型ではなく受容型が日本人の意識・文化の特性だとすれば、相手にもよるでしょうが、実際上の現場での対人的な折伏・育成のあり方もよほど柔軟であることが求められていると申せましょう。
凹形・受容型で傷つき易い相手に対して、「手入れ」の感覚を取り入れた折伏というのは具体的にはどういうものでしょう。
例えば相手の誤りを注意する際、「これはどうしたの?あなたほどの人が」といった表現や姿勢はどうでしょう。これなら基本的には相手を認め、その人格を尊重しながらの注意ですから、決定的に傷つけることなく改良・発奮を促すことができそうです。
―「忍難弘経(にんなんぐきょう)」を覚悟の受持(じゅじ)―
○苦難を覚悟して持(たも)つ
前回は、「提婆達多(だいばだった)こそ善知識(ぜんちしき)」という見出しで、法華経提婆達多品第12や、日蓮聖人の『種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ)』の一節などをいただきつつ、特にお役中は、自分に対し、敵対し、迫害を加える人や逆境こそが、自分を鍛え向上せしめる「善知識」だと頂戴させていただくことが大切である旨申しました。
そして、その際注意すべき心得として、「いわゆる独善に陥(おちい)らぬよう、謙虚な自省心も忘れないように」とも記しました。開導聖人も「自見(じけん)によらば必ず謗法を起(おこ)す也」(一講一紙要談抄・扇全8巻106頁)とお誡(いまし)めのごとく、仏祖のみ教えをいただいているつもりが、実は凡夫の我見をまじえたものとなっていたら、それは誤りであり、周囲の反発はその誤りに対する当然の批判であって、それならその批判の方が正しいのですから、その場合は謙虚に批判を受け止め、自身が反省・改良せねばならないはずです。つまり謙虚さや柔軟性も大切なのです。
にもかかわらず、自分は常に正しいと思い込み、批判はすべて「善知識」であり、いわば「法難」だから、「これに屈せず一層頑張ろう」などと奮起されるのは、周囲にとっては実に迷惑な話です。
日蓮聖人にとっての「善知識」は、あくまでも正法たる法華経の教え、み仏の金言(きんげん)に随順し、常にそのみ教えに自身を照らし合わせながらのものでした。
例えば佐渡ご流罪中に認(したた)められた『開目抄』(文永9年・数え51歳・於塚原三昧堂)では次のように仰せです。
「又云(またいわ)く『数数見擯出(さくさくけんひんずい)』等云云、日蓮法華経のゆへに度度(たびたび)ながされずば、数数(さくさく)の二字いかんがせん。(乃至)末法(まっぽう)の始(はじめ)のしるし恐怖悪世中(くふあくせちゅう)の金言のあ(合)ふゆへに但日蓮一人(いちにん)これをよめり。(乃至)此等皆仏記(これらみなぶっき)のごとくなりき。(乃至)当世法華の三類(さんるい)の強敵(ごうてき)なくば誰(たれ)か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたす(助)けん。(乃至)経文に我身普合(わがみふごう)せり。御勘気(ごかんき)をかほ(蒙)ればいよいよ悦(よろこび)をますべし」(開目抄(上)・昭定560頁)
「数数見擯出」とは法華経勧持品(かんじほん)第13の中に「数数見擯出(さくさくけんひんずい) 遠離於塔寺(おんりとうじ)」(数数擯出[しばしばひんずい]せられ塔寺[とうじ]を遠離[おんり]せん)(開結365頁)とあり、「数数」は「しばしば」、「擯出」は「流罪」の意ですから「何度も流罪せられ、お寺から追い出される」という意です。「恐怖悪世中」というのも同じ勧持品の中に「於仏滅度後(おぶつめつどご) 恐怖悪世中(くふあくせちゅう)」(仏の滅度の後[のち] 恐怖悪世の中に於て)(開結363頁)とあり、「仏滅後の末法悪世の恐るべき時代においては」との意です。
つまりみ仏が法華経勧持品の中にその金言(仏語、仏記)として、「末法悪世は恐るべき時代であり、そこで妙法を弘通せんとする法華経の行者には必ずや『三類(さんるい)の強敵(ごうてき)』(①俗衆増上慢[ぞくしゅうぞうじょうまん] ②道門[どうもん]増上慢 ③僭聖[せんしょう]増上慢の三類。「俗衆」は世門世俗の人々、「道門」は仏門の僧侶、「僭聖」は世に聖人・生き仏等と尊崇されながら内実はそうではない権勢ある高僧のこと)に怨(あだ)まれ怨嫉迫害(おんしつはくがい)が相次ぐことが明記されているのです。
日蓮聖人は、この法華経の金言の一つ一つに、自身を重ね合わせ、それらの仏語のすべてに自身の迫害の種類や内容が合致するかどうかを検証されるのです。そして、「すでに他の迫害(悪口罵詈刀杖瓦石[あっくめりとうじょうがしゃく]、三類の強敵等)のすべてが経文通りに現実のものとなっており、ただ一つ残っていた『数数見擯出』も、先年経験した伊豆伊東の流罪に加えて、今回の佐渡流罪によって『数数』の二字を満たした。これで確かに仏の金言として法華経に記された全ての迫害を、経文通りに身に受けたのだから、これでまさしく日蓮が末法の『法華経の行者』だと申すことができる」、と仰せなのです。
「経文に我身普合(わがみふごう)せり。御勘気をかほ(蒙)ればいよいよ悦(よろこび)をますべし」とあるのは、まさしく、聖人ご自身が「これで勧持品の仏語のすべてに合致(普合とは普[あまね]く合致する意)した。それも今回幕府の怒り(勘気)によって、竜(たつ)の口(くち)の首の座から佐渡流罪となったことによって経文に普合することができたのだから、これは実に喜悦(きえつ)すべきことなのだ」と仰せになっているのです。
このように、日蓮聖人はすべてを法華経に示されたみ仏の金言に引き合わせ、検証を重ねておられるのです。「法華経の行者」と名乗られるのもその上でのことです。しかもなおその上で、さらに次のように仰せです。
「但し世間の疑(うたが)いといい自心(じしん)の疑ひと申し、いかでか天扶(てんたす)け給(たまわ)ざるらん。諸天(しょてん)等の守護神は仏前の御誓言(ごせいごん)あり。法華経の行者には〈乃至〉早早(そうそう)に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに、其義(そのぎ)なきは我身(わがみ)法華経の行者にあらざるか。此疑(このうたがい)は此書(このしょ)の肝心、一期(いちご)の大事なれば、所所(しょしょ)にこれをかく上(うえ)、疑を強くして答をかまうべし」(開目抄(上)・昭定561頁)
「法華経の行者を昼夜に守護すると、諸天善神がみ仏にお誓いをしている(諸天昼夜常為法故而衛護之[しょてんちゅうやじょういほうこにえいごし]―諸天は昼夜に常に法の為の故に而(しか)も之(これ)を衛護す・安楽行品第14・開結382頁)のに、日蓮とその弟子信者がこれほどの大難・迫害にさらされているのを、なにゆえ諸天は放置し救けてくれないのか。世間の疑いも、日蓮自身の心の疑念もそこにある。これは日蓮が真実の法華経の行者ではないということであろうか。この疑念(を晴らすことができるかどうか)はこの書(開目抄)の肝心であり、日蓮一期の大事であるから、このことに関してはこの書の随所に記するから、読む者も強く疑問を持ちつつ、日蓮が示す答えに相い対してほしい」との意です。
ご承知のように、日蓮聖人は上行所伝の妙法こそが末法の一切衆生を救済する唯一の大法だとの確信のもとに32歳で立教開宗をされ、以来20年間妙法弘通の一筋に邁進(まいしん)してこられました。けれども開宗以来のご生涯は文字通り相次ぐ迫害の連続であり、聖人ご自身はもとより聖人を信じ随(したが)ってきた弟子信者も怨嫉の中に身をさらし続けてきたのです。もちろん迫害を覚悟の上でのご奉公でしたが、今度の迫害は聖人の命(いのち)はもとより、教団そのものの壊滅をも企図するもので、文字通り教団全体に対する強権による大弾圧だったのです。しかもこの期に及んで諸天の守護も顕れないのであれば、それがもし聖人が真正の法華経の行者でないためだとすればこれほどの大事はありません。ご自身が誤ったことによって、弟子信者はもとより多くの人びとをも誤りに導き、徒(いたず)らに迷わせ苦しめてしまったことになります。「我身法華経の行者にあらざるか。此疑は此書の肝心、一期の大事なれば」と明記され、さらに「疑を強くして答をかまうべし」とのお言葉には、聖人の偽らぬ率直なお心が吐露されていると拝します。
少し長くなりましたが、ここで申しあげたいのは、聖人は決して独善的・狂信的な宗教者ではなかったということです。いやむしろ真摯(しんし)な求道(ぐどう)によって得た確信を以て開宗され、ご弘通をされた聖人であればこそ、真率かつ謙虚な自省心を持ち続けておられたのです。こうしたご自身に向けた疑念への真摯な問いかけを通じてこそ、それを超克しての本当のさらなる前進があるのだと拝察されるのです。『本尊抄』が「法開顕(ほうかいけん)の書」とされるのに対してこの『開目抄』が聖人の「人開顕(にんかいけん)の書」であり、「上行自覚(じょうぎょうじかく)」(本化[ほんげ]上行菩薩の後身[ごしん]だとのご自覚を示される)の書だとされるのも、この疑問を率直かつ真摯に自己に受けとめられ、厳しくその検証を重ねられる過程が如実に記され、そしてその上での新たなゆるぎない確信が示されているからに他ならないと存じます。
○「深い謙虚さ」と「ゆるぎない誇り」の兼備を
聖人は、もとより自らは「石中(いそなか)の賎民(しずたみ)が子」(善無畏三蔵抄)、「海辺の旃陀羅(せんだら)が子」(佐渡御勘気抄)、「片海(かたうみ)の海人(あま)が子」(本尊問答抄)であって、罪根甚重の凡夫であるとのご自覚を生涯にわたってお持ちでした。このいわば「凡夫日蓮」の自覚を持ちながら、同時にその一方で自己に対する厳しい内省と検証を重ねつつ「法華経の行者」、「地涌(じゆ)の菩薩」、「上行後身の如来使」との自覚を確立・開顕してゆかれるのです。聖人ご自身がこのような姿勢であられたということも、私共は決して忘れてはならないと存じます。
聖人は、『開目抄』(文永9年2月)の直後に記された『佐渡御書』(同3月)で、次のようにも仰せです。
「日蓮も、又かく責めらるるも先業(せんごう)なきにあらず。〈乃至〉何(いか)に況(いおう)や日蓮今生(こんじょう)には貧窮下賎(びんぐげせん)の者と生まれ、旃陀羅(せんだら)が家より出(い)でたり。心にこそ少し法華経を信じたる様なれども、身(み)は人身(にんしん)に似て畜身(ちくしん)也。〈乃至〉又過去の謗法を案ずるに誰(たれ)かしる。〈乃至〉宿業(しゅくごう)はかりがたし。鉄は炎打(きたえう)ちて剣(つるぎ)となる。〈乃至〉我が今度(こんど)の御勘気(ごかんぎ)は世間の失一分(とがいちぶん)もなし、偏(ひとえ)に先業の重罪を今生に消して、後生(ごしょう)の三悪(さんなく)を脱(のが)れんずるなるべし」(昭定614頁)
このように聖人は定業堕獄の凡夫との自覚を明確に持ち、過去の謗法の罪障をこの度の大難を受けることによって消滅し、後生に三悪道(地獄・餓鬼[がき]・畜生の三悪道)に堕することを脱することができるのだ、と受けとめておられるのです。
私共が『妙講一座』の「随喜段」(「あゝ有難や」の御文)の中で、先に「あさましや我身の上をかへりみれば(乃至)三毒強盛なり」と唱えつつ後に「本化上行の流類(りゅうるうい)読持此経(どくじしきょう)是真仏子(ぜしんぶっし)といはれ」と言上申しあげるのも同じ意です。ここには「三毒強盛の凡夫」でありながらも、こうして妙法を信受する佛立信者とならせていただいた身の上は「本化上行の流類・是真仏子」の大果報を頂戴している存在でもあるのだ、との悦びが表白されているのですから。ここにも「罪障の深い凡夫」の自覚と「上行流類・是真仏子」の自覚とを同時に持つべきことの大切さが明記されているのです。どちらか一方に偏(かたよ)るのではなく双方の自覚を同時に持つことが大切なのです。一方に偏るのは卑屈と傲慢(ごうまん)のどちらかに陥ることに他ならないのですから。苦難を真の「善知識」として受けとめつつ、双方の心を同時に持ち、それをいつも忘れない、そこにこそ「真の謙虚さ」と、苦難にもゆるがない「強固な誇り」との両者を兼ね備えた法華経の菩薩の姿があるのです。
実は、日蓮聖人が仰せになる「憶持不忘(おくじふもう)」の意も、「難に値(あ)うことを覚悟して妙法を受持する」ということが土台となっています。
○値難(ちなん)を覚悟の「憶持不忘(おくじふもう)」
『岩波仏教辞典』によれば、「憶持(おくじ)」とは「記憶して心に持(たも)つこと。心に記憶して忘れないこと。翻訳語としては憶念(おくねん)と同一。(中略)しかし、中国・日本で、憶念と区別して理解される場合、憶持には〈受持して忘失しない〉というニュアンスが濃い」とあります。
出典としては、法華経の結経(けっきょう)である『観普賢菩薩行法経(かんふげんぼさつぎょうほうきょう)』に「爾(そ)の時に行者、普賢の深法(じんぽう)を説くことを聞いて、其(その)の義趣(ぎしゅ)を解(げ)し、憶持して忘れじ。(解其義趣[げごぎしゅ] 憶持不忘[おくじふもう])」(開結610頁)があります。つまり「教えを聞き、理解して忘れない」という意味です。
「憶持不忘」の基本的な意味は右の通りですが、日蓮聖人の示される「憶持不忘」はそれだけではありません。「苦難・迫害に値(あ)っても妙法を受持し、決して退転しない」ということですから、通常の「憶持不忘」に「値難を覚悟して」の意が加わるのです。
日蓮聖人は四条金吾に宛てた御消息(ごしょうそく・お手紙)に次の如くお示しです。
「此経難持(しきょうなんじ)事。〈乃至〉此経(このきょう)をききうくる人は多し、まことに聞受(ききうく)る如くに大難来(きた)れども憶持不忘の人は希(まれ)なる也。受(うく)るはやすく持(たもつ)は難(かた)し、さる間(あいだ)成仏は持(たもつ)にあり。此経(このきょう)を持(たもた)ん人は難に値(あう)べしと心得て持(たも)つ也。〈乃至〉三世(さんぜ)の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを、持(たもつ)とは云(いう)也。〈乃至〉天台(てんだい)大師の云(いわく)『信力(しんりき)の故(ゆえ)に受(う)け、念力の故に持(たも)つ』云云。又云『此経(このきょう)は持(たも)ち難(がた)し、若(も)し暫(しばら)くも持(たも)つ者は我即(われすなわ)ち歓喜(かんぎ)す、諸仏も亦然(またしか)なり』云云。火にたきぎ(薪)を加(くわう)る時はさかん也。大風吹(ふか)ば求羅(ぐら)は倍増する也。〈乃至〉法華経の行者は火と求羅との如し、薪と風とは大難の如し。〈乃至〉此より後(のち)は此経難持の四字を暫時(ざんじ)もわすれず案じ給べし」 (四条金吾殿御返事・昭定894頁)
この御消息は文永12年(建治元年)3月6日付ですから、日蓮聖人は54歳、前年の春赦免(しゃめん)されて佐渡から帰還し、身延へ入山された直後です。なお付言すれば、前年の文永11年10月には聖人の諫言(かんげん)通り、第一回目の蒙古襲来(文永の役[えき])が起こっています。
「信力の故に受(う)け、念力の故に持(たも)つ」の文は、天台大師の『法華文句(ほっけもんぐ』(第8・大正蔵34巻107頁C)の中の「信力故受念力故持(しんりきこじゅねんりきこじ)」の訓(よ)み下(くだ)しです。これは法華経の法師品(ほっしほん)第10に示される「五種法師(ごしゅほっし)」[受持(じゅじ)・読(どく)・誦(じゅ)・解説(げせつ)・書写(しょしゃ)のこと]の第一「受持」の義を釈したものであり、「此経難持」の御文は、法華経見宝塔品(けんほうとうほん)第11の結文(けちもん)となる偈文(げもん)で『妙講一座』にも採録されており、ご引用の「諸仏も亦然なり」云云の後には、「如是之人(にょぜしにん) 諸仏所歎(しょぶつしょたん) 是則勇猛(ぜそくゆみょう) 是則精進(ぜそくしょうじん)」(是[かく]の如[ごと]きの人[ひと]は諸仏の歎[ほ]めたまふ所なり。是[こ]れ則[すなわ]ち勇猛[ゆみょう]なり。是れ則ち精進[しょうじん]なり)と続きます。そしてさらに、そのような行者こそ「即(すなわ)ち為(こ)れ疾(と)く無上(むじょう)の仏道を得たり、〈乃至〉是(こ)れ真(しん)の仏子、淳善(じゅんぜん)の地(じ)に住(じゅう)するなり」(即為疾得(そくいしっとく) 無上仏道(むじょうぶつどう)〈乃至〉是真仏子(ぜしんぶっし) 住淳善地(じゅうじゅんぜんじ)と説かれているのです。
また「求羅(ぐら)」とは「迦羅求羅(からぐら)」の略で、想像上の虫の名であり、風を受ければ受けるほど大きく成長し、ついにはすべてを呑み込むとされます。『上野殿母御前返事』に「からぐらと申す虫は風を食(しょく)とす。風吹かざれは生長せず。〈乃至〉仏も亦(また)かくの如く法華経を命とし、食とし、すみかとし給なり」(昭定1817頁)とも仰せです。先の御消息では「法華経の行者はあたかも火と求羅のようなものだ。薪と風とは大難のようなものだ。だから法華経の行者は大難に値(あ)えば値うほど大きく成長するのだ」と仰せになり、「だからこそ『此経難持』の御文を常に忘れないようにせよ」と結ばれているのです。
日蓮聖人のみ教えにおける「憶持不忘」は「値難(ちなん)を覚悟」しなければならず、その意味で「此の経は持(たも)ち難い」けれども、そこを堪えて忍難弘経(にんなんぐきょう)を貫(つらぬ)く行者こそが「勇猛精進(ゆみょうしょうじん)」の真の法華経の行者であり、速やかに成仏を遂げる「是真仏子」なのだということです。
このように「値難を覚悟」し「此経難持」を前提とした「憶持不忘」は、実は同じく佐渡で著された『如説修行抄』に示される「されば此経(このきょう)を聴聞(ちょうもん)しはじめん日より思ひさだむべし。況滅度後(きょうめつどご)の大難三類(だいなんあんるい)甚(はなはだ)しかるべしと」(第1段)、あるいは「唱死(となえじに)」(第6段)
と示される決定(けつじょう)の信心と同義だということがわかります。
○「勇猛精進(ゆみょうしょうじん)」も難(なん)に屈せず貫(つらぬ)くこころ
「精進」とは梵語で「ビリヤ」といい、元の意に「勇気」という意味も含んでいます。ですから「勇猛精進」は「嫌気(いやけ)ささず、投げ出さず貫き通すこと」を意味しているのです。
法華経にも随所に見える語で、そのいくつかを挙げれば次のようにございます。
「勇猛精進」(序品[じょほん]・開結66頁)、「勤加(ごんか)精進」(信解品[しんげほん]・同187頁)、「昼夜(ちゅうや)常(じょう)精進」(従地涌出品[じゅうじゆじゅっぽん]・同408頁)、それに先の見宝塔品(けんほうとうほん)の「是則勇猛 是則精進」(同340頁)等です。「精」は「クワシク」、「進」は「ススム」とも解されますから、心をこめ、念を入れて進み続ける意でもあります。ただし、日蓮聖人の「勇猛精進」は「憶持不忘」「忍難弘経」の「勇猛」であり、「精進」なのだということを忘れてはなりません。
最後に開導聖人の御教歌と御指南もいただいておきます。
開導日扇聖人御教歌
○わすれてはおもひ出(いだ)して
はげめども
をこたりがちに成(なる)ぞくやしき
(本尊抄会読(三)・扇全6巻141頁)
○題・信者の一心の家の内に信謗(しんぼう)の二人主(あるじ)を争ふ
わすれぬをたもつといへば法華経の
かたきを責(せめ)よおのが心の
(十巻抄(一)・扇全14巻370頁)
御指南
「賞罰現証に感じて、本尊並(ならび)に尊像(そんぞう)を生身(しょうじん)にていますものと決信(けっしん)して月年(つきとし)を送れども忘れぬ。同じ調子なる人、諸組の中に随分あり。又日々(ひび)に遠ざかるは忘るゝ也。〔ワスルヽハ〕信心のゆるむ也。あさまし」(開化要談 用・扇全13巻403頁)
○せめて「心内の三類」に負けぬように
現代では憲法で「信教の自由」が保障されており、妙法を弘通したからといって強権の弾圧・迫害にあうことはまずありません。せいぜい身内や周辺からの反発がある程度でしょう。もちろん、それはそれで大変苦しい場合もありますが、せめてそれくらいの苦難は覚悟し、信心を決定(けつじょう)してご弘通に精進させていただきたいものです。また、それにも増して忘れてはならないのは、いわゆる「心内の三類」であり「おのが心の敵」です。凡夫持ち前の貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒(さんどく)や、疑迷(ぎめい)・不信(ふしん)・懈怠(けだい)の心に負けて信心を忘れ、精進を忘れて懈怠の謗法に陥らぬよう、お役中自身はもとより、ご信者相互に折伏し合い、励まし合う努力が求められているのです。
「無始已来」の御文で「今身(こんじん)より仏身(ぶっしん)に至(いたる)まで持奉(たもちたてまつ)る」と言上し、「宗風」の第2号【受持(じゅじ)】で「受持の一行に徹する」と教えられながら、御指南のごとく、たとえ現証によって一度は信心が決定(けつじょう)できたとしても、年月を経るとともに信心がゆるみ、御法から心が離れ、ついに忘れてしまうことが多いのも凡夫の常です。「憶持不忘」「勇猛精進」を、「せめて心内の三類に負けず受持(じゅじ)せよ」と誡めておられる教えとして頂戴するのは、現代のお互いに即しての、いわば「せめてものいただき方」ではないでしょうか。
―「忍難弘経(にんなんぐきょう)」を覚悟の受持(じゅじ)を―
○「提婆達多(だいばだった)こそ善知識(ぜんちしき)」
前回は、「逆縁正意(ぎゃくえんしょうい)と逆即是順(ぎゃくそくぜじゅん)」(2)―逆即是順・ご罰(ばち)即ご利益(りやく)―のテーマで、次のようなことを申しました。
「逆縁」がそのまま「順縁」になる「逆即是順」の理は、いわば転換・逆転の妙理であって、それが認められ説かれるのは、円融(えんゆう)・円満の最高の教え(円教[えんぎょう])である法華経なればこそのことであること。だからこそ釈尊に敵対し、殺害しようとまでした極悪人の提婆達多(だいばだった)でさえ成仏の授記(じゅき)を得られたのである。そしてこのことは、実は提婆に等しい罪根甚重(ざいこんじんじゅう)・定業堕獄(じょうごうだごく)の荒凡夫(あらぼんぶ)たる私共末法の衆生も、妙法の受持信唱によってこそ定業を能く転じて成仏の果報にあずかることができるということを示してくださっているのだ、ということなのです。また法華経の中に示された「逆即是順」の姿の例として「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬(たとえ)」(信解品)や「良医病子(ろういびょうし)の譬(たとえ)」(如来寿量品)の父と子の関係(仏と末法の衆生の関係)―反発・反抗(逆縁)を通じ、それが順縁に転じていく姿―も紹介させていただき、同じ妙理は「ご罰」がそのまま「ご利益」に転じる「ご罰即ご利益」の理法にも通底していることにも触れ、次のように結びました。
〈法華経の「逆即是順」の妙理は「ご罰即ご利益」はもとより、総じてダメだと棄(す)てられ、否定され、マイナス評価しか与えられなかったものを、活かし、肯定し、さらにはプラスの評価へと逆転せしめる、いわば「発想の転換」・「逆転の発想」を促すものなのです。「妙とは蘇生(そせい)の義なり」(法華題目抄・昭定402頁)とは、実に言い得て妙だと存じます〉。
こうした「逆を順へ」、「悪を善へ」、「罰をご利益へ」と転換せしめて受けとめていく積極的な姿勢や発想のあり方は、法華経の「善知識(ぜんちしき)」の把え方でもよくわかります。
「善知識」(ぜんぢしきとも)は、悪知識の対語で、単に「知識」ともいい、「善友(ぜんぬ)」「勝友(しょうゆう)」等とも申します。①正法を説き、人をして仏道に入らしめ、成仏へと導く人、②仏道に縁を結ばしめる人のことを意味する語です。いわば仏道における「よい先生」「指導者」のことです。
法華経には次のようにあります。
「爾(そ)の時の王とは則(すなわ)ち我が身是れなり。時の仙人(せんにん)とは今の提婆達多是(こ)れなり。提婆達多が善知識に由(よ)るが故に、我をして[中略]具足(ぐそく)せしめたり。等正覚(とうしょうがく)を成(じょう)じて広く衆生を度(ど)すること、皆(みな)提婆達多が善知識に因(よ)るが故なり」
(提婆達多品第12・開結346頁)
釈尊が前世に王であったとき、妙法を頂戴するために師として仕えた阿私仙人(あしせんにん)こそが提婆達多の前世の姿だったのです。その阿私仙が今は提婆と生まれ、釈尊に敵対し、迫害を加えているわけですが、「実は提婆達多こそが私の善き師であり、彼のおかげで私は成道して仏となることができたのである。さらには私がこうして広く衆生を済度しているのも、彼が善知識となってくれたおかげなのだ」と仰せなのです。この阿私仙に対して王が仕える様について経文には「法の為の故に精勤(しょうごん)し給侍(きゅうじ)して」、「情(こころ)に妙法を存(ぞん)ぜるが故に、身心懈倦(しんじんけけん)なかりき。普(あまねく)く諸(もろもろ)の衆生の為に大法を勤求(ごんぐ)して、亦(また)己(おの)が身(み)及び五欲(ごよく)の楽(らく)の為にせず。故(かるがゆえ)に大国(だいこく)の王と為(な)って勤求して此(こ)の法を獲(え)て遂(つい)に成仏を得ることを致せり」(開結346頁)等とあります。
王が妙法を勤求し、精勤給侍する姿については、このシリーズの⑦の「参詣の大事(3)―給仕について―」で、『身延山御書』(昭定1912頁)の御文も頂きながら、やや詳しく触れておりますのでご参照ください。なお「精勤」とか「勤求」の語も、後に触れる「精進」や「憶持不忘」とも関連がありますので、少しだけ心に留めておいてください。
日蓮聖人は次の如く仰せです。
〈相模守(さがみのかみ)殿こそ善知識よ。平左衛門(へいのさえもん)こそ提婆達多よ。(乃至)摩訶止観第五に云く「行解(ぎょうげ)既(すで)に勤(つと)めぬれば三障四魔(さんしょうしま)紛然(ふんぜん)として競(きそ)ひ起(おこ)る」文。(乃至)釈迦如来の御(おん)ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに人をよくなすものは、かたうど(方人)よりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり〉
(種種御振舞御書・昭定971頁)
第8代執権(しっけん)・北条時宗(ときむね)[相模守]こそが、日蓮にとっては善智識である。また平左衛門尉頼綱(へいのさえもんじょうよりつな)こそが、日蓮にとっては釈尊における提婆達多の如き存在(つまり善智識)である。天台の『摩訶止観』にも、信行に精進し、信心増進すれば、必ず様々な怨嫉迫害(おんしつはくがい)が競うようにむらがり起こる、とあるのもそのような意でいただかねばならない。釈尊のためには提婆達多こそが第一の善知識であった。今末法の世相を見ても、真実に人を成長せしめるのは、その人の味方よりも、その人にとっての強敵・ライバルなのである、との意です。
北条時宗は、日蓮聖人当時の鎌倉幕府の政権担当者として、お祖師様とその教団に弾圧・迫害を加えた最高責任者ともいうべき立場にあった人ですし、平左衛門尉頼綱は、竜の口の法難をはじめ、直接弾圧を指揮した張本人です。でも、こうした迫害を加えた大敵ともいうべき人々こそが、聖人にとっては善智識であり、自分を鍛え、信心を増進せしめ、成仏と導いてくれた人なのだと仰せなのです。
常識的には、それこそが善知識・善友だと思われる自分の身内・味方である人よりも、一見「悪知識」としか思えない敵対・迫害する人の方が、実は自身にとっては善知識なのだという受けとめ方も、まさしく逆転の発想であり、ここにも法華経の説く「逆即是順」の妙理の具体的な姿と、その受けとめ方、頂き方が如実に示されていると存じます。
それでなくとも末法のお互い凡夫は、元来が易(やす)きに流れやすく、「善師をば遠離(おんり)し、悪師には親近(しんごん)す」(如説抄第1段)る傾向が顕著です。だからこそお役中は、願わくはこのみ教えを自身に学ばせていただき、さらに一歩を進めて、むしろ敵対する人、逆らう人、また自身にとっての逆境をこそ、いわば善知識として頂戴していただきたいのです。
ただ注意してほしいのは、いわゆる独善に陥らないことです。自身にとっての逆境や敵対・反発のすべてが自身の正しさの証明だとの思い込みは禁物です。やはり一方で謙虚な心を大切にしなければなりません。凡夫が自分の我見(がけん)に基づいて行動すれば、それは当然反発を招きます。もし自身が誤っていて、その為に周囲の反発をひき起こしているのだとしたら、その批判は謙虚に受け止め、自身が改良しなくてはならないのは当然です。にもかかわらず、自身は常に正しく、相手が誤っていると思い込み、その批判が即「善智識」であり、いわば「法難」だから、これに屈せずさらに頑張ろう、などと考え、反省するどころか、一層発奮されたりするのは、これは周囲にとって実に迷惑な話です。
釈尊や日蓮聖人における「善知識」のいただき方は、あくまでも正法たる法華経の教え、妙法の信心に随順しつつ、「自己反省」を忘れないあり方の中でのものだということを忘れてはならないのです。
我見をまじえた勝手で極端な考えを、あたかも絶対の正義のようにふりかざす行為が、ややもすると「原理主義」に同ずる危険性を有することについては、このシリーズの㉛「謗法を戒める―信仰の純正化(3)―原理主義に陥らぬよう―」で記した通りです。
「憶持不忘(おくじふもう)」等については次回で記します。
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