佛立新聞平成19年1月号〜6月に掲載
国際仏教徒大会でダライラマ14世と会見
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4支・妙深寺 長松 清潤 記
「インド」に伝わる上行所伝の御題目

多くの人々が佛立の口唱行に感動
 去る平成18年10月3日から10日にかけて、福岡日雙師(神戸香風寺)は、横浜妙深寺、博多光薫寺を中心とした教講21名とともにインドへ赴き、歴史的ともいえる弘通活動を展開し、6千名を越える人々に上行所伝の御題目を伝えるという成果をもたらした。
 そうした活動の一端を伝え、法華経と日蓮聖人、日隆聖人、日扇聖人の教えに基づく本門佛立宗の信仰が、インドの人々にどのように受け止められ、どのように弘まろうとしているのかを同行した長松清潤師(横浜妙深寺)、局良鳳師(神戸香風寺)がレポートした。

唱えせしめることが目的
経 緯
 佛立開講150年ご正当の年、福岡御導師を筆頭に三度目となるインドへの弘通行が実施され、非常に意義深い成果を収めた。
 平成18年2月、ラジ女史から「ブッダ入滅2550年(ブッダ・ジャヤンティ。インド・ネパール・チベットなどで信じられている年歴)を記念して、各国から代表団を呼びイベントを開催する。日本代表として本門佛立宗が参加できる。 ダライ・ラマ氏が参列するので、ぜひ福岡御導師との邂逅を実現したい」と連絡があった。
 ダライ・ラマ氏とは、1989年にノーベル平和賞を受賞したチベット仏教最高指導者。毛沢東、周恩来、ネルー、ヨハネ・パウロ二世、マザー・テレサ等、世紀を代表する政治家や宗教者と、時に対峙し、交流してきた人物であり、その数奇な生涯はハリウッドで映画化もされている。兎も角も世界で最も著名な仏教僧として認識されている。

意義の深さに感動
 つくづく御法さまのご采配としか考えられない展開や御縁を不思議に思う。ダライ・ラマ氏は、今からちょうど50年前の1956年、インド・マハーボディ・ソサエティ(大乗仏教会)の総裁でシッキム国のクマール皇太子からブッダ成道2500年に招待され、はじめてインドの地を訪れた。そして、その旅の途中でチベットからの亡命を決意したという。
 50年間、多くのチベット民族は言語を絶する辛酸を味わうことになったが、ちょうどその50年後に私たちがブッダ・ジャヤンティに招かれ、上行所伝の御題目をお伝えすることになるとは、少なからぬ因縁や意義を感じた。
 特に、2006年が、当宗のみの記念の年ではなく、国際的レベルで見た多くの仏教徒にとって最も意義ある年と考えられていたことが単純に嬉しかった。つまり、我々にとっての開講百年は、彼らにとってブッダ入滅2500年、開講150年は入滅2550年だったという訳である。
 その意義を踏まえて、世界で最も認知されている仏教僧のダライ・ラマ氏、及びチベット僧、インドのマハーボディ・ソサエティや周辺の仏教徒に、法華経の教えに基づく御題目口唱の意義と実践、メリットについて説き、共に口唱行を行うことは、将来の国際的なご弘通ご奉公に想像以上の効果、インパクトをもたらすのではないかと胸が高鳴った。

 「無より有を生ず」という海外弘通の現場は、またとない勉強の場である。その第一線で活躍されている福岡御導師は、何しろ肝が据わっておられ、どのような相手(好意的な人、そうではない人、興味のある人、無い人)に対しても最大の効果をもたらすご奉公をされる。「失敗を恐れていたらご弘通にならん」という確固たるお姿から、小さなプライドを守ろうとしていたら、ご弘通に結びつかないという菩薩行の基本姿勢を再認識させていただく。
 しかし、さすがに今回のバイラクッペのセッション(会合)に、私は閉口した。そこは3000人を超す僧侶が起居して修行を行っている特別区。昨年、マイソールで交流したチベット僧が私たちを歓迎してくれた。全僧侶を代表するセラ寺院最高位の学僧約20人との対談と、約2千人もの僧侶に口唱行を紹介したが、その雰囲気と規模には圧倒された。
 大御本尊をお掛けして、臆することなく声高らかに御題目をお唱え出来たのは、福岡御導師の堂々とした御唱導があればこそであった。上行所伝の御題目を、何としても彼らの耳に入れ、唱えせしめるのだ、という純粋なご弘通姿勢の大切さを改めて思い返した。

 

ブッダ・ジャヤンティ・パーク

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 仏教徒が少数であっても、ブッダはインドが生んだ最高の聖者として尊敬されているのだろう。首都デリーにはブッダの入滅を記念する「ブッダ・ジャヤンティ・パーク」という巨大な公園がある。そこを会場にブッダ入滅2550年を記念する一大行事は開催された。
 盛儀の前日、リハーサルの為、はじめて公園を訪れた。会場には伝統的な衣装を纏った108人のチベット僧が独特の行進を練習していた。その場所で、大会のパンフレットに本門佛立宗のことを掲載するために何度もメールでやりとりしたチベット・ハウスのチャンキー女史やオーガナイザー(総責任者)のラマ・ドブーム氏と初めて対面し、雲をつかむようなご奉公だったが、ついに現実になることを実感した。
 マイクや座る位置を確認し、差定を決め、簡単に唱題の練習をも行った。世界各国から様々な仏教徒や僧侶が集まってきていた。会場のあちこちで交流しつつ、私たちは法華経の御題目について説明していた。

ラマ氏も唱題し最大の目的達成
150御正当年に意義深い成果を

◇ダライ・ラマ氏の御題目口唱
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ダライ・ラマ氏

 

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福岡御導師とダライ・ラマ氏

 

 晴天の下、ダライ・ラマ氏と全世界の仏教徒が集結して大会は開催された。チベット僧らの行進と、彼らの口唱行が紹介された後、福岡御導師の御唱導の下、上行所伝の御題目がブッダ・ジャヤンティ・パークに響き渡った。
 無我夢中でお唱えしていたので私は気づかなかったのだが、終わってからダライ・ラマ氏も私たちと共に御題目をお唱えしていたことを教えていただいた。確かにビデオの映像にもその模様が記録されており、一つの大きな達成感が胸に込み上げてきた。未来に向け、これからが本番であるという使命感と情熱が涌き起こった。
 日本の仏教教団は、数千万円もの寄付を行って、ダライ・ラマ氏を招待し、イベントを行うという。今回の渡航前、余りに不安になってラジ女史にそのことを尋ねた。すると彼女は「私たちはビジネスで行くのではありません。純粋にブッダの教えを伝えに行くのです。お金など必要ない」と即答した。
佛立開講150年の御正当年に、本門佛立宗の教講が世界的に尊敬を集めるダライ・ラマ氏へ上行所伝の御題目を紹介し、共にお唱え出来たことは非常に意義深いことであると確信した。
◇オーガナイザーからの言葉
 午後は会場を公会堂に移し、ダライ・ラマ氏と懇談。福岡御導師は、そこでご自身の本を手渡され、確かにチベット最高指導者ダライ・ラマ氏に本門佛立宗の御法門をお伝えした。
夜には、各国の代表団に20分ずつの時間が与えられ、「口唱行」等を披露し、交流する機会が設けられた。まず福岡御導師が御題目口唱の意義について話され、その後で会場に「さぁみんなで御題目を唱えましょう」と呼びかけた。
 会場中から御題目の声が聞こえ、あっという間に言葉の壁を越えて、誰もが口唱に参加できる、私たちのご信心の素晴らしさを再び実感した。他のチャンティング(読経)は演者と観客を自ら選定し、難解な言葉や節を覚えなければ参加することも不可能であるのに、御題目口唱は主客を別にせず、誰もがすぐにできるのである。
 最終日、福岡御導師と共にチベット・ハウスを表敬した。その際、オーガナイザー(主催者)から「他の宗派は単に歌唱や踊りだけだったが、佛立宗の御題目口唱はまさにブディズム(仏教)と言えた。最も素晴らしかったと思う」との話があった。他流試合で最も素晴らしかったと認められたと感じ、何より嬉しかった。

世界に弘まる祖願達成のため
信行ご奉公の厳しい改良が大事

◇ヴィシシュタ・チャーリトラ
 さらに、今回の旅行で最も印象に残ったことがあった。それは昨年に引き続き、バンガロール近郊で行ったセッションでのこと。他の会場と同様、冒頭に世界中の口唱行が紹介され、続いて福岡御導師が御法話をなされ、次に参加者全員が御題目をお唱えした。昨年も参加していた一人の青年が興奮しながら、「この一年間御題目口唱のパワーを実感していた」と語ってくれた。感動的体験談である。
 その後の質疑応答で、「ナムミョウホウレンゲキョウは日本語? 中国語?」「意味は?」と質問があった。ごく簡単に意味を述べれば「妙法蓮華経に南無する」である。これに対するやりとりは、この旅の中で最も印象深かった。
 「なるほど。では、そのアイデアからすると『ナーモ・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』と唱えた方がオリジナルに近いと思う。その方がブッダの言語に近いし、力があるのでは?」と発言した。ある意味、仏教発祥のインドに日本から仏教を戻してゆく際、彼らが抱く当然の理屈とも言える。中国語に翻訳され、日本語に翻訳される前の原典はここにある、と。
 この時、左手に法華経の原典を持ってセッションに参加していたその施設の責任者、メノン氏が発言した。
 「ヴィシシュタ・チャーリトラの存在がとても重要なのです」
 その聞き慣れない名は翻訳すると「上行菩薩」である。氏は法華経を熟読して、ブッダご自身が御法を附属された「上行菩薩」の存在を知った。そのことを無視して、いくらインド人であろうと「直取り」はできないと理解していた。ブッダの故国でこのように語られたことに、私はこの上なく感激した。
 上行菩薩は、高祖日蓮大菩薩としてお約束のとおりに末法へご出現された。そのことを私たちは知っているし、勿体ないほど上行所伝の御題目は私たちの身近にある。出稽古や他流試合で我が身の幸せを思い知らされ、世間に行じご弘通に挺身してこそ、佛立信者たる法悦は感じられるものと知った。

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11支・香風寺 局 良鳳 記
口唱の意義とその利益伝える
2千人の僧侶も御題目を口に

 昨平成18年10月3日から10日までの8日間、福岡御導師のインドご弘通ご奉公に随伴させていただきました報告と感想を述べさせていただきます。
 今回のご奉公のメンバーは御導師を先頭に横浜・妙深寺、千葉・唱題寺、名古屋・建国寺、京都・妙福寺、神戸・香風寺、福岡・光薫寺、イタリア組からの教講で計21名でした。
 10月3日の朝参詣終了後、関西空港で名古屋と京都、福岡のメンバーと合流して、まずバンコクの空港まで行き、バンコクで成田から来た横浜と千葉のメンバーと合流しました。合流後、御導師から今回のご奉公の意義や諸注意などの説明を受け、バンコクからインドのバンガロール空港まで飛び、夜中に到着。バンガロール市内にあるスクール・オブ・エイシェント・ウイズダムにて、イタリアからのヴァレンティーニ夫妻と仮眠を取りながら合流。夜が明けぬうちにバンガロールから南に位置するマイソールへ向かいました。
 バスで3時間ほど揺られますとマイソール市内のホテルへ到着。このホテルで朝食をとり、しばらく仮眠をとってからマイソール南部にあるバイラクーペというチベット人の自治区へ入りました。このバイラクーペという地区は、ちょうど50年前、チベットよりヒマラヤ山脈を超え、インドへ亡命してきた人達のためにインド政府から与えられた数箇所の土地の内の一つです。
 このバイラクーペでのご奉公の目的は、この地に住むチベット人僧侶に御題目を聞かせ、唱えさせるということです。
 まずはじめに、チベット人僧侶数千人の中のトップ20人と対談し、そこで御導師が法華経の正当性、殊に御題目口唱の意義とその功徳を話し、次に長松清潤師(横浜・妙深寺住職)が、自ら感得された御題目口唱によるご利益談を話されました。
対談後、約2千人の僧侶が待つ外の会場へ移動し、その会場へ大御本尊を奉安、一座のお看経をいただきました。その2千人に上行所伝の御題目を聞かせ、御本尊に向かって御題目を唱えせしめることができました。
 中国で法華経を弘められた妙楽大師は「納種在識、永劫不失」と仰せです。この場所に集まったチベット僧達が、この日、上行所伝の御題目を耳にし、口に唱えたことによって結ばれた「ご縁」は絶対に消えない、この功徳によって未来は必ず法華経の信者となり、御題目を弘めるご奉公ができるようになるのです。その素晴らしいご奉公の、ほんの一分ですが、関わらせていただいたことに感謝申しあげます。
 翌日はバンガロール市内にある「ザ・スクール・オヴ・エイシャント・ウイズダム」へ行きました。日本語では「古代人の知恵の学校」というのですが、その名の通り、世界中の、しかも古代からのあらゆる宗教、文化を研究している、宿泊施設を備えた学校です。当日、私たちが訪れた時も、キリスト教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒をはじめ、ゾロアスター教徒や仏教徒も来場していました。
 その方々に、まず御導師が「法華経における御題目口唱の意義とその利益」をテーマに講演され、続いて長松御住職がご自身の祈願口唱によって先住上人の起死回生のご利益をいただいた話を交えながら、御題目口唱がいかに人間の祈りの道理に叶っているのか、仏教、ことに法華経が、あらゆる宗教の中でいかに勝れているのかを熱く語られました。

ダライラマ法王も一同と共に口唱
目的果たし驚きと新たな情熱が

 前日のチベット僧達と、このエイシェント・ウイズダムに集まった方達との反応を比べてみますと、御題目口唱に対する関心度が随分違うようでした。
 エイシェント・ウイズダムに集まってきた方達は、皆知的レベルがはるかに高く、チベット僧と同等、それ以上と言ってもよいくらい宗教的な知識もあるのですが、ここに来た人達は皆、私たちの御題目口唱を一つの知識としてではなく、自ら実践するに当たっての質問がとても多いのに驚きました。
あまりにも唱え方についての質問が多いため、CDを送ることになりました。そう、この学校にはCDはもちろん、DVD 、パソコン、プロジェクター等の電子機器はすべて揃っています。きっとインドで上行所伝の御題目を唱える人達、弘める人達は、おそらくここから出てくるのではないかと思います。
この日は、この学校の宿泊施設に泊まり、次の日はデリーへ行くため空港へ向かいました。
 空港へ向かう途中に「マハーボディスクール」というチベット人の高僧によるチベット人僧侶のための学校へ寄りました。ここは親元から離れた4、5歳の男の子から20歳前後の青年まで約80人が勉学に励んでいる学校です。
 私たちが訪れた時は、7〜8人のグループが10ほどあり、それぞれ輪になって地面に座り、黒板を使って先輩が後輩に教えるというスタイルで勉強しておりました。子供たちが必死になってノートに取っているのを後ろから覗いてみますと、左側にチベット語で右側に英語で書いてありました。幼少の頃から、二カ国語で必死に勉強をしている。しかも地面に坐りながらということに、感動と同時に末恐ろしさを感じました。
 その後、空港へ向かいデリーへ向けて出発しました。
 デリーの地でのご奉公の目的は、ジャヤンティー公園で開催される「仏陀成道2550年記念、世界仏教大会」に日本代表として参加し、各国から集まる仏教僧と約4千人の出席者達に、上行所伝の御題目を聞かせるということです。この大会には、現在亡命中のダライラマ法王が参加するということもあり、厳重かつ大規模な式典でした。
 ダライラマ法王の入場後、私たちは壇上にて福岡日雙導師のもと、御題目口唱をさせていただきました。その御題目口唱の最中、間近に坐っているダライラマ法王は手を合わせ、私たちの御題目口唱の声に合わせて南無妙法蓮華経とハッキリ唱えておられました。
 チベット仏教の法王であるダライラマ氏が、上行所伝の御題目を私たちの声に合わせて口唱されているこの事実を目の当たりにした時、これが目的とはいえ、驚きとともに、心の底からほとばしる新たな情熱というものも感じました。
 ダライラマ氏は法王とはいえ、所詮は密教僧であり、観音菩薩の生まれ変わりとはいえ、所詮は迹化の菩薩です。私たちの信ずる経は、諸経の王である法華経であり、唱える題目は法華経の魂魄である上行所伝の御題目。こちらは本化であり、日蓮聖人の本地は本化の上首、上行菩薩です。

御題目こそ全人類の宝
伝え弘めることが佛立宗の使命

 本化の菩薩と迹化の菩薩の違いを日蓮聖人は『観心本尊抄』で次のように仰せです。
 「本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば、一と大海と、一塵と大山となり。本門の一菩薩を、迹化の十方世界の文殊・観音等に対向すれば、猿猴を以て帝釈に比するになお及ばず」とお示しのように、一滴の水と大海、一粒の土と富士山のような山のような違い。私たち人間と帝釈天と比べてもその差ははるか及ばないのに、それ以上のサルと帝釈天に比べてもなお及ばないと仰せです。同じ法華経でも本門と迹門、それを信じ行ずる本化と迹化とはそれぐらいの違いがあるのです。
 それはひとえに、上行所伝の御題目が全人類を救う最高の宝であるからであり、それを信じ行ずる人の使命があまりにも尊いからなのです。その日蓮聖人の弟子信者である私たちの使命は、やはりどんな人達にも、この法華経の魂魄である上行所伝の御題目を唱導していかなくてはなりません。
 世間で崇められているダライラマ法王だろうが、ローマ法王だろうが、アンタッチャブルと言われる不可触賤民だろうが、それこそもっと身近な友人、知人にも御題目を勧めることは私たちの使命なのです。そんなことを感じました。
 その後、会場をIHCという文化ホールへ移動し、そこでも多くのチベット僧や世界各国からの仏教僧、一般の聴衆も集まっている中で、福岡御導師が御題目口唱の意義を簡単に説明し、皆で御題目口唱をさせていただきました。
 ここでも終了後、多くの方から御題目口唱についての質問を受けました。
 この大会すべてを指揮していたチベットの高僧が、御導師にこんな感想を述べていました。

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少年僧の勉強風景

 「今回、この式典に参加された各国の仏教団体の中で、HBS(本門佛立宗)が一番パワフルであり、仏陀成道2550年という式典に一番ふさわしいものだった」ということです。確かに、今回の式典でチベット、スリランカをはじめベトナム、タイ、台湾、韓国など諸団体の法要一座を拝見しましたが現在の日本仏教の各教団と同様、僧侶だけのお経読誦の法要あるいは踊りのようなパフォーマンスであり、在家もその場で参加できる言わば「全員参加型」のものは佛立宗以外ありませんでした。
750年前に日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」という全人類が救われる御題目を顕してくださり、150年前に開導聖人が全人類を視野にいれ御題目一本の誰でも参加できる法要一座を御開講してくださったことは、人類史上、本当にスゴイことだと、「あらためて」というより、「初めて」思い知らされました。
 子供でも大人でも、世界中の誰もが唱えられるこの御題目は、全人類の宝なのです。

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集合写真

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