⑰「稽古」の大切さ(2)
2014年2月21日(金)
 

=シミュレーションやイメージトレーニングの活用も=

○「稽古」の活用を考える

 

 前回は、いわば「稽古」についての総論的な内容で、その基本的な意味を踏まえつつ、これにいわゆる「シミュレーション」や「イメージトレーニング」の観点も付加した概念での把(とら)え方が大切ではないか、ということを申しあげました。もっとも、こうは申しましても、「稽古」には本来そうした観点もちゃんと包含されているのだと存じます。要は、「稽古」を広い意味で、そして実践的・動的な観点から把握し直して、それを自身の信行や生活全般の具体的なあり方に活かしてゆく努力・工夫が大切だと思うのです。

  「稽古」は、基本的に「本番」があることを前提としています。もちろん「本番」といっても、それはいろいろです。生涯に一度しかない臨終のような大事もあれば、大きな大会やコンクール等での本戦への出場・出演や出品、大事な入試への挑戦等もあり、また日常生活の中での特に意識もしないような小さな本番もあります。いずれにせよ、その本番を期して想定し、これに備え、自身にひきあてて練習するのが稽古なのです。

難病である拡張型心筋症=心臓がメロン大に膨(ふく)れ上がり、その機能を失う「心不全」の一種で、日本だけでも約一万人の患者がいるといわれ、発病から五年以内に死亡することが多い重病=に対し、その心臓の一部を大胆に切り落とし、その機能を蘇(よみがえ)らせる「バチスタ手術」の世界的な権威で、日本で初めてこの手術を成功させた心臓外科医・須磨久善氏(湘南鎌倉病院・当時)が、本番の手術を控えて、自室で待機しつつ、目をつむり、顔の前で両手を動かしている姿をテレビ(NHK・プロジェクトX)で見たことがありますが、同氏は、そのようにして目前の手術の想定をし、模擬練習をしているのです。三千を超す手術の修羅場を踏み、海外では神の手を持つ男”“天才外科医と称され、日本の患者からは密(ひそ)かにブラック・ジャックと呼ばれる同氏の、手術前の姿がそうなのです。そうしてバチスタ手術の本番ともなれば、20人の医療チームを率いてメスを握るわけです。


例えば「記録・報告」にしても、ただ適当に、あるいは
御仕着せのように思うのではいけないと思うのです。その内容が次の行事の改良等に実際に結びつくような記録・報告でなくてはもったいないでしょう。それは「予告・奨引」でも同じです。いつ、どこで、何が、何の目的で、どのように行われるのか、だからどうしてほしいのか、どうすれば参加できるのか、誰が主催者で、誰が参加対象なのか等といったことが具体的に分かり易く、しかも適当な時期に示されないと有効な奨引にはなりません。これはまずご披露をする側に求められるものですから、お役中がそういう意識を持たねばならない訳です。

  「ご披露」にもいろいろな手段・方法がありますが、まず最も一般的な口頭でのご披露について考えてみましょう。


○徳川夢声の『話術』に学ぶ


NHKテレビの「武蔵」の放映開始に因(ちな)んでいるのかと存じますが、かつてラジオでの「宮本武蔵」の朗読で一世を風靡(ふうび)し、今日に至るまで
話術の達人として著名な故・徳川夢声(むせい)氏の名著『話術』(白揚社から2003年2月新装改版で再刊。初版は1949年)の「総説」の第二章「話の根本条件」の中で、氏は概略次のようなことを仰っています。


(1)話には目的がある

a 何を伝えるか

 (イ) 意志(思)を伝える……意

   こう思う、こうしてほしい、こうしては困る。

 (ロ)感情を伝える……情

   なんてうれしい、これはとんでもないことだ。

 (ハ)知識を伝える……知

   これはこういう意味、こういうこと。

*(イ)(ロ)(ハ)が一体になっていることも、交互に交わっていることもある。

b どのようにして伝えるか

 *言葉、電話、書面、今ならメールも

 (イ)必要な言葉は?   自身にひき当てた

 (ロ)その使用の仕方は?  「研究的な聴き方」を

*「こうやって言うとわかり易いな」 「こういう言葉や言い方、表情だと感じがよくて、心を打つな」と、他の人の話を聞く。

 ・要はできるだけ「わかり易く」、「正しく」、「感じのいい」言葉を用いる努力を。

 (ハ)声と調子・落ち着いた、はっきりした、大きな声で

(2)話の稽古を大切に……要は経験と平生からの心構え・姿勢が大事

①ふだんからの心がけ……正しく、はっきりと、強い声での練習を。まず夫婦や家族の会話でも。

②一人でするなら「朗読」を……絵本なら、子供が前にいると思って「○○のつもりで」の稽古を。

 以上は同書の35頁からの数頁の内容を私なりにまとめてみたものです。必ずしも原文通りのそのままのものではありませんから、その点はお断りしておきます。


同じ御講参詣奨引のご披露でも「一人でも多く参詣してもらいたい」という目的があるなら、「来月の組御講は何月何日何時から○○さん宅です」だけで終わるのと、さらに例えば「この御講は○○さんの親御さんの祥月にもあたっており、お席主も一人でも多く参ってほしいと仰っていますから、是非にぎやかにお参りさせてもらいましょう」「お宅はご存知の方も多いと存じますが、知らない方のために何時に○○の駅の改札口で私が待っていますから」とか、さらに「地図を用意します。それには住所と電話番号やマンション名と部屋番号も書いておきます。駅からは歩いて約5分です」とか、「遠方ですので電車で一緒に参りましょう」「○○さんが車に乗せてくれますからね」等々、場合に応じて参詣意欲を増すご披露の仕方は色々とあって、そうしたご披露の方がやはり「参詣増加」という目的を達する上でずっと優れているわけです。そして、そうしたよいご披露ができるようにするためには、まず少なくとも前月の御講の時までに翌月の御席が決まっていることが必要ですし、さらにはその御席・御講がどういう状況かということや、参詣方法、住所、地図等も予め必要な範囲で確認・準備をしておく、つまり頭の中で前もってシミュレートし、それに基づいて本番でのご披露の内容・方法等を考えておくことが大切になるわけです。「ご披露」の「稽古」とはそういうことも含むのです。そしてこれは例えば御講の事前のご奉公の分担、御席での役課の分担、お給仕のあり方等についてもすべて当てはまることです。


先に述べたように、稽古は本番を期しての準備であり、練習であり、同時に実地を踏みつつ改良を加え、向上・上達を図る努力でもあります。「本番」の最たるものは「臨終」ですが、平生の世法上の生活や信行ご奉公の中にも様々な本番と稽古があるわけで、そうした稽古を本当の意味で大切にしてゆくことが大事なのです。


最後に開導日扇聖人の御教歌等を頂戴しておきます。

○何事もけいこをせぬはそれの糟(かす) うたの中ではうたのへたくそ
(十一題抄・扇全12巻33頁)

 

 ○臨終の事を習ふはけふの日の  如説修行ぞ稽古也ける
(開化要談(教)・扇全14巻45頁)

お添え書き御指南

「稽古―即習ふ事也。

何時(なんどき)死(しん)でよき様に如才(じょさい)無く行ずる事 稽古也。」 

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