仏教のススメ

⑬懺悔(さんげ)の大事 (1)
2013年8月21日(水)
 

―改良と成長の基(もとい)・精神の若々しさの証明―


○懺悔こそ信行生活の基本精神


この「新役中入門」も今回で第13回目、初回を含めて二度目の新年を迎えました。

 新しい年を迎えるにあたっては、昨年一年をふり返り、それを総括して自(みずか)らを反省し、改良すべきことは改良して、新しい出発をさせていただきたいものです。

 ご信心の上で、この「深い反省と改良」にあたる言葉が「懺悔(さんげ)」です。そしてこの懺悔こそ、み仏の教えを受け、堕獄(だごく)の定業(じょうごう)を能転(のうてん)し、現当二世(げんとうにせ)〈現世[げんぜ]と当来世[とうらいせ]〉の大願の成就を期して信行に励もうとする私共佛立教講が、常に忘れてはならない信行生活の基本精神なのです。

 実は『妙講一座(みょうこういちざ)』全体を一貫し、通底(つうてい)する精神も他ならぬ「懺悔」の心です。


○『妙講一座』を一貫・通底する懺悔の心

『妙講一座』(本門佛立妙講一座)の各御文についての講義・解説の書は、既に多くの先師・先輩方が立派なものを著しておられますから、それらのご著作を参照していただけばいいのですが、極く極く概略だけ申しあげておきたいと存じます。

 まず『妙講一座』は「五悔(ごげ)」から構成されています。五悔というのは「懺悔」「勧請(かんじょう)」「回向(えこう)」「随喜(ずいき)」「発願(ほつがん)」の五つを指す用語です。

 御文(ごもん)の配当は次のようになります。


①「懺悔」段……「無始已来(むしいらい)」の御文

②「勧請」段……「如来滅後(にょらいめつご)」から「南無当門勧請(なむとうもんかんじょう) の列祖(れっそ)」までの御

③「回向」段……「願(ねがわ)くは受持口唱(じゅじくしょう)し奉る本地本法(ほんじほんぽう)の功力(くりき)を以て」の御文

④「随喜」段……「あゝ有難やまれに人身(にんしん)を得(え)適(たまたま)仏法にあへり」の 御文

⑤「発願」段……「願くは生々世々(しょうじょうせせ)」の御文


右の各段の御文は、もちろん各々に大変深い意味内容がこめられていますから、不用意に概説しまとめることは大変勿体(もったい)ないことだとは存じますが、ここでは敢えて、全体的な理解のための総括的な把握を試みておきたいと存じます。


「懺悔」の段の「無始已来」の御文は「惣(総・そう)懺悔文」とも申します。過去久遠(かこくおん)の昔から今日(こんにち)まで、真実の大法たる上行所伝本因下種の御題目を信じてお唱えすることができず、妙法に背(そむ)き罪障を重ねてきたことを深くおわびし、今からその罪障を消滅し、成仏の果報をいただくまで(今身[こんじん]より仏身[ぶっしん]に至[いたる]まで)決して離さず受持(じゅじ)申しあげる(持奉[たもちたてまつ]る)旨、懺悔改良と妙法受持をお誓いする御文です。


この懺悔の心でそれまで背を向けてきた御本尊たる御題目、その御題目を伝えご弘通くださった蓮隆両祖をはじめとする門流(もんりゅう)の先師先聖(せんしせんしょう)方に帰依(きえ)して、感謝の心でお呼び申しあげ、請(こ)い願うのが「如来滅後」の御文以下の「勧請」段の御文です。

そうして次の「回向」段は、今日までは凡夫(ぼんぶ)の欲を中心とし、自分本位・自己中心の心であったことを反省し、他の人(過去・現在・未来の一切衆生)にも妙法の経力で幸せになってもらいたいという利他(りた)の思い・菩薩の心で臨みたいという心になる。回向というのは「回転趣向(えてんしゅこう)」を縮めた語で、自分の方向にばかり利得(りとく)〈功徳[くどく]・得益[とくやく]〉を向かわしめようとしてきたその方向を回(めぐ)らせ転じて他に趣(おもむ)き向かわしめる意ですから、本来の回向は必ずしも亡き精霊(しょうりょう)〈過去の衆生〉に対するものと限られるものではありません。


現在生きている人々や未来に生まれてくる人々に対する回向ということも当然あるわけで、その意味では「回向の心」はそのまま「菩薩の心」「利他の心」とも申せるわけです。これは世法(せほう)の上でも当てはまることで、例えば地球上に今ある資源を現在の私達だけのものだとして消費してしまったり、空気や水や環境を汚してしまったりすれば、それは未来の人々の幸せを奪ってしまうことになります。

これは回向の心に反する行為だとも申せます。回向というのは、要は「自分へ、自分へ」という心から「他の人にも、みんなにも」という心にかわることです。「共々に幸せになれるように」と願う心が回向の心で、そうすると却(かえ)って自分も本当の幸せに近づくことができるのです。それを妙法の絶大な経力でさせていただきたいと、従来の自己中心の心への反省・懺悔の思いを持って言上させていただくのが回向段の御文なのです。


「随喜」段の「あゝ有難や」の御文は、従来自己中心で自利の欲が強く、しかも求めても得られず、思い通りにならない生活のなかで、不足や不満の念が強く、喜びや感謝の心から遠ざかっていた凡夫が、前の回向段の心のごとく利他の心、菩薩の心を持ち、次いで「こんな三毒強盛(さんどくごうじょう)の凡夫である私も、思えばこうして生まれ難い人間に生を受け、さらにお出値(であ)いし難い真実の大法にお出値いし、信者となることができて、もったいなくも真(まこと)の仏子(ぶっし)〈是真仏子[ぜしんぶっし]〉とまでいわれ、絶大な経力・仏力によって成仏の大果報にあずかることができるとは何と有難いことか」と深い喜びを表明させていただく御文です。

 

そしてこの随喜段に続くのが「発願(ほつがん)」段の「願くは生々世々」の御文で、これは前の随喜段で表白した深く大きな喜び、人間としての根源的な喜びの中で、ついには「今生(こんじょう)のみならず、生まれかわっても、また生まれかわっても、きっとまた必ずこの御法をいただき、菩薩行にいそしみ、一切衆生を済度させていただきたい。きっとそうさせていただきます」と、菩薩の大願、いわゆる四弘誓願の中でも第一の惣願である「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」〈衆生は無辺なれども誓って度[ど]せんことを願う〉の願を発(おこ)し、発誓(ほっせい)する一段です。

○五悔の御文は「凡夫が菩薩へと生まれかわってゆく姿」


 こうして五悔の御文のお心を順次拝見していくと、それは一人の妙法不信・三毒強盛の荒凡夫が、妙法にお出値いし、それまでの妙法への違背の誤りに気づき、それを懺悔して妙法の受持信唱をお誓いするところから始まり、それまで背を向けていた御題目・先師に帰依(きえ)申しあげ、利他の回向心を持ち、感謝と喜びの心たる深い随喜の思いを抱き、ついには生々世々の菩薩行までさせていただきたいと発願するまでになる。そこからは罪根甚重(ざいこんじんじゅう)・定業堕獄の末法の凡夫が御法にお出値いすることを通じて、本門法華経の菩薩・本化の菩薩・如来使へと成長し生まれかわっていく姿が彷彿(ほうふつ)としてくるのです。


そしてそのすべての過程を通底し、ずっと響いているのが懺悔の心なのです。

『妙講一座』を拝読申しあげる際は、ただ御文を順次拝読するのみではなく、今申しあげたような御文の心を順次頂戴させていただき、その心で御題目の口唱へと進ませていただくことが大切なのです。


さらに言うなら、『妙講一座』の五悔の要文は、私共信者に「本当の信者はかくあれかし」という、信者に求められる本来あるべき姿、お手本をお示しくださっているのだとも申せます。

『妙講一座』の五悔の御文全体を「凡夫から菩薩への生まれかわりの姿」として頂戴するのも、私共の理解を助ける上で有効な拝見の仕方ではないかと思うのです。

「懺悔」そのものの意味等については次回で申しあげたいと存じます。


*なお「五悔」の配列・順番は、天台法華宗(いわゆる天台宗)では①懺悔②勧請③随喜④回向⑤発願の順で、当宗とは回向と随喜の順番が入れかわっています。しかしこれも、「凡夫が菩薩へと成長し、生まれかわってゆく姿」としていただくと、当宗の③回向から④随喜へと進む方が自然です。人間の成長・発達の過程からみても、利他の回向の心がもとにあってこそ、自他のありかたを喜び感謝する心へと進むことができるからです。

 

―導師の言上の練習も大切―

○お役中が導師を勤める際の留意点


清風寺教育部が初の「組長研修会」を開催したのが平成13年4月で、以来もう2年が経過しました。年間7回、2年で14回を1クールとし、1月から3月、8月と12月は休講ですが、他の月は原則17日の夜7時から8時半までの1時間半、予め決めたテーマに従ってテキストを作成・配布して講義や実践を行ってきたのです。今年は6月16日のみ日曜の午前中でしたが、他は皆平日の夜です。それでも最も多い時には300名を超える受講者が、平均でも200名前後の加行者(けぎょうしゃ)が毎回あったことは、開催者側にとっても大きな励みでした。因みに今年のテーマは次の通りでした。

4月 「法燈相続について」

5月 「結縁・教化・育成について」

6月 「お給仕Ⅰ」(御宝前のお給仕)

7月 「口唱について」

9月 「御布施・諸有志について」

10月 「お給仕Ⅱ」(御講席・御講師の給仕)

11月「まとめ」


こうしたテーマに即しつつ、講義だけでなく、質疑応答の時間もできるだけ取り、またお助行や逮夜回向等の導師の勤め方の実践、御講席でのご披露の実践なども可能な範囲で実際にしてもらい、御尊像のお給仕の仕方などはお教務さんを御尊像に見立てて、お塵払いやおかとうのお給仕のさせていただき方も指導し、半紙の使い方などもテキストでの図面の他、新聞紙などで折り方を実演したのです。


また昨年も今年も加行者(けぎょうしゃ)のアンケートを取り、それも可能な点は活用・参考にしました。

 こうしたことを通じて講師側も随分と勉強になりました。特に改めて実感したことは、基本的・実践的な指導がいかに大切か、また講義にしても具体的なことや基本的なことを明瞭に教えることがいかに大切か、ということでした。


今月はそうしたことの一つとして、導師を勤める際の大切な留意点について、いくつか記しておきたいと存じます。


昨年の研修会において『お助行・回向・差定・言上文』(組長用)を作成・発行し、寺内の全組長等に無料で配布しました。内容は①お助行②逮夜回向③臨終のお看経(枕看経)④納棺⑤「収拾(取)舎利」の五種の差定・言上文(さじょう・ごんじょうぶん)で、その使用方法については「あとがき」に次のように記しました。


「この冊子は、清風寺教育部が中心となって実施した平成13年の『組長研修会』を通じ、研修加行者の要望などに基づいて作成・刊行されたものです。

 『妙講一座』等の要文(ようもん)は、各種の差定・言上文で重なるものもありますが、重複をいとわず掲載しています。これは不慣れなご信者が導師を勤める場合も想定したためです。

 『言上文』や、おリンを入れる所は、導師によってある程度の異同があってもかまいません。最も大切なのは、心を込めて導師を勤めさせていただくことです。この冊子の差定・言上文を一つの基準として、各人が努力し、活用いただければ幸甚です」


要は、無始已来から無始已来まで頁を追ってそのまま拝読していけば一座のお助行やご回向ができるようになっており、リンを入れる位置も○印で示してあって、省略してもいいところもその旨記してあるのです。しかし、それでも実際には、不慣れな人にはそれなりの練習が当然必要です。ですから研修会での実践では、おリンはどの場所あたりに置いた方が勝手がいいか、息つぎはどうするか、木琴(もっきん)や拍子木(ひょうしぎ)はどう打つか、お供水(こうずい)はどういただくか、そんなことも導師をしながら、テキスト通り言上・拝読しながら教えたのです。


そこでまず第一に身に付ける必要を感じたのは『妙講一座』や『如説修行抄』の要文(ようもん)の文言(もんごん)をまずはとにかく正確に発音し、拝読することができるようになることです。大勢で拝読している時は、少々いい加減な読み方をしていてもあまり問題になりませんが、それだと自分が導師を勤める時にはちょっと困ったことになります。自信を持って声を出せませんし、誤っていることも他の人にわかってしまいます。
もしも自分が誤っているのにそれに無頓着に導師をしていれば、それを耳で聞いている他の参詣者に誤った拝読の仕方や読みを教えてしまうことにもなります。実際古くからのご信者・お役中で、導師にも慣れた方でさえ、よく聞いてみると随分いい加減な言上・拝読をなさっていることは意外に多いのです。それはやはり「聞き覚え」で不正確なものを覚えてしまい、そのまま今日まで疑問も持たずにきてしまったからではないかと存じます。決して細かなことにこだわるつもりも、いわゆる「重箱の隅をつつく」ような真似をするつもりもありませんが、試しに間違い易い所を次に挙げておきますので、念の為に自己診断をしてみてはいかがでしょうか。


◎如来滅後の御文

・「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」

・「万民の大地(だいぢ〈じ〉)に処して雲閣月卿(うんかくげっけい)を」

◎標題(品題〈ほんだい〉)

・「方便品(ぼん)第二」「従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五」

・「普賢菩薩勧発品(かんぼっぽん)第二十八(廿八)」

◎如説修行抄第六段

・「自受法楽(じじゅほうらく)せん時」

・「受持(じゅじ)の者を擁護(おうご)し」

◎南無久遠の御文

・「十方分身(ふんじん) 三世(さんぜ)諸仏」

・「千世界(せんぜかい)」

・「大師先徳(だいしせんどく)」「蓮師大士(れんしだいじ)」

・「大梵天王(だいぼんでんのう)」「四大天王(てんのう)」

・「地神水神(じじんすいじん) 円宗(えんじゅう)守護」

・「天長地久(てんちょうじきゅう)」「恒受快楽(ごうじゅけらく)」


右の諸点、目をつむって自分の平生の読み方や無意識で習慣となっている発音と比較対校してみてください。もしも、一つも相違がなければ大したものだと存じます。私自身、以前は誤って発音していたところもあります。


それにつけても思うのですが、「看経(かんきん)」とはよく言ったものです。これは元来は経文をちゃんと看(み)て拝読する意ですから(当宗では御題目をお唱えすることを中心とする意ですが)。やはり、『妙講一座』や『修行抄』も、暗記していたとしても、できるだけ平生からきちんと御文を拝見しつつ正しく頂戴することが大切だということを改めて教えられます。

 

 

   なお『妙講一座』等も、現在宗内には各種出されておりますが、中には校正が正しくできていなくて誤字や誤ったルビの付されたものもあるようです。できれば宗務本庁から出された、あまり古いものでない折本の『妙講一座』を基本としていただきたいと存じます。ただそれでも「ぢ」「じ」の片名遣いは、新しい内閣告示には必ずしも準拠していません。しかしこれは歴史的な面もあり、ある程度は致し方ないのではないかと存じます。


清風寺教育部が刊行した前記『差定・言上文』に関していえば、引用の要文は宗門の刊本に準拠しつつ、「ぢ」「じ」等についてのみ現代片名遣いに改めています。さらに付記すれば、もしも本庁から出されている刊本を全文そのまま写して無断で刊行したりすれば、当然版権等に触れることとなります。『差定・言上文』は、その点、導師がそのまま言上・拝読できるよう「言上文」とあわせて出させていただいたものですので、何とかお許しいただけるのではないかと存じます。

 

 

―幹にこそある花の色―


○「妙法受持の凡夫(ぼんぶ)」即(そく)「本因妙(ほんにんみょう)の菩薩」とは


 佛立宗の教えの精髄(せいずい)は、「末代悪世のおたがい凡夫がその身のままで即身成仏の果報をいただく方法は、久遠のみ仏が自ら明かされた成仏の因となる修行(これを本因妙の菩薩行という)をそのままにさせていただくことである。そしてそのためにこそ、み仏は法華経本門八品を説いて、自らが本因妙の菩薩として唱えられたのと全く同じ御題目を上行(じょうぎょう)菩薩に授けられた。だから凡夫が上行所伝の御題目を受持信唱させていただけば即身成仏ができる」ということです。


このことを少し別の角度から言いかえれば、菩薩行の中にこそ、凡夫がその身に頂くことのできるみ仏の果報【いのち】があるということでありましょう。


でもこのことは、なかなかすっとは理解し難いことではないでしょうか。ご信者の中にも、そうした方はあるのではないかと存じます。と申しますのは、元来が菩薩というのは、仏になること(成仏)を目ざして修行をしている段階の者を指すものであり、成仏を結果とすれば菩薩行は原因です。そして原因が結果を生むには、程度の差はあれ、通常は必ず時間の経過を要し、また「因の菩薩」と「果の仏」とは、例えば姿一つ取っても何らかの違いがあるのではないか(青虫やサナギと羽化した蝶のように)ということです。

  そして実は、これは小乗仏教以来、大乗仏教でさえ多くの方便・権教(ほうべん・ごんきょう)ではそう説かれていることが多いのです。

 例えば「ジャータカ」(釈尊の前世物語)などでは「菩薩」といえば釈尊の前世の姿に限られています。ところが真実教である本門法華経の教えでは「『本因妙の菩薩』は『因の如来』であり、しかもそれがそのまま成仏をしている姿である。そして凡夫であっても本因妙の菩薩行をさせていただくときは、その身そのまま即身成仏をしている」と説かれ、さらには「凡夫が成仏をさせていただく方法は本因妙の菩薩行しかなく、他の教えは全て誤りだ」と教えられるのです。

  いっそ方便・権教の如く、「凡夫が成仏するためには長い困難な修行が必要で、場合によっては何度も生まれ変わって修行しなければならない」(歴劫修行[りゃっこうしゅぎょう])とか、「死んで別の世界に往生[おうじょう](往[ゆ]き生[う]まれること)して初めて成仏できるのだ」(往生成仏)とか言われた方が、むしろ納得し易いのかもしれません。事実、念仏など他宗の多くは、今もこれに類した教えを、あたかも真実であるかのように説いているのです。

けれども、まことの真実の教えである本門法華経の教えは前述の如くなのです。これをどのように理解すればよいのでしょう。

 私にとって、このことを自分なりに納得させてくれる助けとなったのは、染織家の志村ふくみという女性が、その著書の中に記した自らの経験を通しての感懐の言葉でした。


○幹にこそある花の色


 染織家というのは、草や木から(多くは煮出して)取り出した自然の染料で天然の糸を染め、その糸で布などを織る人のことですが、志村さん(現・人間国宝)は、花を咲かせる前の三月の桜の枝や幹から染まった桜色が、花の後の九月の桜の枝からは染まらなかった経験を引いて、その著『一色一生』([いっしょくいっしょう]求龍堂刊。現在は講談社文庫からも出ています)に次のように記しています。


少し長くなりますが引用します。

「その時はじめて知ったのです。桜が花を咲かすために樹[き]全体に宿している命のことを。一年中桜はその時期の来るのを待ちながらじっと貯(た)めていたのです。

 知らずしてその花の命を私はいただいていたのです。それならば私は桜の花を、私の着物の中に咲かせずにはいられないと、その時、桜から教えられたのです。

 植物にはすべて周期があって、機を逸すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精ではないのです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな真紅や紫、金黄色の花も、花そのものでは染まりません。

 友人が桜の花弁ばかり集めて染めてみたそうですが、それは灰色がかったうす緑だったそうです。

 幹が染めた色が桜色で、花弁で染めた色がうす緑ということは、自然の周期をあらかじめ伝える暗示にとんだ色のように思われます。」(同書「色と糸と織と」の章の22頁)


そして次のようにも言っています。

「ある時、私は、それらの植物から染まる色は、単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が色をとおして映[うつ]し出されているのではないかと思うようになりました。

 それは、植物自身が身を以て語っているものでした。こちら側にそれを受けとめて生かす素地がなければ、色は命を失うのです。(中略)

 ただ、こちらの心が澄んで、植物の命と、自分の命が合わさった時、ほんの少し、扉が開くのではないかと思います。

 こちらにその用意がなく、植物の色を染めようとしても、扉はかたく閉ざされたままでしょう。」(同書19頁~20頁)

 この志村さんの文章の中の「桜の花」を「果の仏」に、「花の前の幹」を「因の菩薩」に置きかえてみたらどうでしょう。

 花はいくら美しく見えても、花弁そのものからは桜の色は染まらないのです。これは果の仏からは、直接にはみ仏の果報はいただけない。そうではなくて、「花が咲く前の幹」にこそ、糸を桜色に染める花のいのちがある。つまり「因の菩薩」の中にこそ、凡夫がこの身にそのまま移しいただくことができる本当の色「花のいのち」があるのです。


○「妙法の世界」は「いのちの世界」


 妙法の世界は、客観的・科学的な因果の世界ではなくて、まさしく生きた「いのちの世界」なのです。だから、幹の中にこそ糸を染めることができる花の精華があるように、本因妙の菩薩行の中にこそ凡夫がいただくことができるみ仏の魂が息づいているのです。


また、植物のいのちを色として染めるためには、染める側に、素直な、そのままいただく心が必要で、そうでなくては精気のある色が発色しないように、また自分のいのちと植物のいのちとが一つに合わさって初めて自然な本当の染めが出来るように、凡夫が妙法をいただく際も、我(が)を捨てて素直に信唱させていただかなくては、御題目にこもります「み仏のいのち」もそのまま私どもに移し、いただくことができないのです。


開導日扇聖人は御指南に仰せです。

「門祖曰、口に唱へ心に納(おさ)め、五字と信心と和合(わごう)すれば、行者即(そく)上行菩薩同様になりて、其身(そのみ)即宗祖大士(しゅうそだいじ)と同じやうに如来の御使となる処を、本因妙の上行菩薩、因の如来の即身成仏と申也との、五帖抄の御指南也。

忘るゝ事なかれ」(扇全8巻167頁)


「今末法下種(げしゅ)の時、本門の肝心上行所伝の題目を信行する人は、本地報仏(ほんじほうぶつ)、最無上(さいむじょう)の釈尊の本因妙の御位たる本化(ほんげ)上行菩薩と同体となるなり。これを本因妙、因の如来の即身成仏といふなり。」(扇全16巻62頁)


こうして、御指南を頂戴し、改めて当宗の教えに思いを致すとき、時間を超えて、たとえ本仏、釈尊、上行菩薩、日蓮大士と、お姿は異なっていても、しかもすべて全く同じ妙法のいのちの連鎖とでも申しあげる他ないこと、そして、私ども現在の凡夫も、上行所伝本因下種の御題目をいただくときは、同じみ仏のいのちがそのままいただけるのだということが、誠に有難く心に染み入ってくるのです。

 共々に素直な心で受持信唱させていただくことが大事大切です。


※志村さんの『色を奏(かな)でる』(ちくま文庫・C―14―1)も参考に読んでみてください。同書はかつて岩波カラーグラフィックスの『色と糸と織と』の原題でも出ていました。

 

 

―「一緒に入門」「できたてほやほや」の心で―


○「位弥下」の心と「一緒に入門」の心

 


 先月は「『教弥実位弥下』の教え」の(1)ということで、その基本的な意味を学ぶため、日蓮聖人の『四信五品抄』の御文の一節をいただきました。もう一度簡単にまとめておけば、「度(ど)しがたい凡夫(ぼんぶ)を、何とかして救済し、成仏せしめんとのみ仏の慈悲の具体化したありよう」が「教弥(いよいよ)実なれば位弥下る」ということであり、次のような譬えを記しました。

 「例えば、薬についていえば、軽い病気や怪我ならちょっとした売薬や消毒で十分対応できるし、体力や免疫力の高い人なら少々の疾病などはほおっておいても自分の力で治すことができる。ところが重病・重症ともなればそれなりの医療・投薬・手術などが必要になる。ましてや、難病や重篤な症状ともなれば、これは最高の対応が求められる。末法の衆生はいわば重病中の重病で、しかも自身の体力も気力も免疫力も最低の状態であるから、どうしても最高の薬・医療を施す必要がある、というわけです。」

 


末法のおたがいは、おしなべて三毒強盛(さんどくごうじょう)・罪根甚重(ざいこんじんじゅう)で、このままだと堕獄(だごく)するしかない定業(じょうごう)堕獄の凡夫ですから、これ以上下(した)はない救い難く、度し難い者(下根下機[げこんげき])ばかりなのです。ところがみ仏は、それを哀れに思い、何とかして救ってやりたいと大慈悲心をおこされ、そんな凡夫でも救うことができる力をもった最高の教えである御題目を与えてくださったわけです。


教(薬)が真実・最高であるからこそ定業堕獄の凡夫(重病人)をも救うことができる、末法の凡夫だからこそ最高の御題目を、というのが「教弥実位弥下」の教えから導かれる具体的帰結であり、言いかえれば、このことを明らかにすることが「教弥実位弥下」の教えの一番の目的なのです。

 


さて、先月号では「易しさ」も教弥実位弥下の大切な要件であり、「わずか五字・七字の御題目を信じ唱えるだけ」という当宗の修行の易しさも、教弥実位弥下の教えなればこそだといいました。それは体力・能力の低い者に難しく高度な技術の習得を強いることができないのと同じです。幼児を導くには、幼児でもできる方法が求められるわけで、そういう意味での易しさです。赤子(末法の凡夫)には、完全栄養食でありながらただ飲むだけでいい母乳(妙法)を、というのはそういうことなのです。


○「できたてほやほや」の心で導く

「易しさ」を大切にして他の人を導く、ということにつき、最近読んだ本で教えられたことがあります。『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)という「構造主義」の入門書です。

 


私は「構造主義」という哲学などについてここで説明しようとは思いませんから、それとは全く無関係に、気楽に読み進んでください。私がいわば目を開かれたのは、例えばその前書きです。次のようにあります。

「何しろ『知らない』ことを調べながら書く自転車操業ですから、(中略)『ついさきほど、“あ、なるほど、そういうことね”と膝(ひざ)を打った』という『出来たてほやほや』の状態にあります。(中略)これは『地球の歩き方』を読むときには、現地に三代前から住んでいる人の情報よりも、さきほどそこを旅行してきたばかりの人の情報のほうが、旅行者にとっては『使い勝手がよい』というのと同じです。」〈同書「まえがき」13頁>

 


この書に対する書評も併せて紹介しておきます。実は、私がこの本を知ったのはこの書評によってなのです。

「どの分野でも『入門書』は面白くない。それは書き手が一段高いところから読者に知識を与えているからだ。そこで著者はこう定義をする。『入門書』とは自分も知らなかったことを書く本。読者と一緒に入門しようというわけだ。そうなればどこがわかりにくいかわかるから、わかりやすく書けるし、読者と体験を共有できる。」(毎日新聞・平成14年8月4日「今週の本棚」渡辺 保・評)

 


この『寝ながら学べる構造主義』は文春新書の№251.平成14年6月20日刊で、著者の内田 樹(たつる)氏は現・神戸女学院大学文学部総合文化学科の教授。専門はフランス現代思想ですが、映画論や武道論等も研究している方ですから、もちろん素人ではありません。しかし、この本は本当に素人にも読み易く、しかも面白くて、何とも分かり易いのです。譬喩も沢山使用します。専門家として一段高いところから教えようとするのではなく、自分も同じ入門者として、ちょっと一歩先にやっと分かったこと、納得したことをそのまま記してくれる、それが「できたてほやほや」「共に入門」という心なのでしょう。

 「教弥実位弥下」は幼児にも分かり、実際にできる“易しさ”を要件とする、と申しましたが、その具体的な心、具体的なありようを教えてくれていると思うのです。例に『地球の歩き方』を挙げていますが、あれはプロではない、全くの素人が海外に旅して、その現地・現場での自分の苦労や失敗も含めて紹介し、だからこうすると上手(うま)く行く、こうしないと大変だといったことを記してくれていますね。ちょっとしたことが実際にはつまずきのもとになる、これがコツだ、ということがよく分かるわけです。


○お役中も「一緒に入門の心」を大切に

 ご信心のことを教える際もこの心がほんとうに大切です。お役中も「私も一緒に入門するのよ」「私もこんなことがあって、こうしたらやっと上手くできたのよ」といった心や姿勢で他のご信者や新入信者さんを導く、「ほんの一歩先しか知らないけれど、それにまだまだ知らないことも多いけれど、私と一緒に頑張っていこうね」といったあり方が大切だと思うのです。

 
 笑い話のようですが、ある先輩お教務さんが次のような実話を語ってくださいました。

「毎日せめてお線香一本は自宅でいただきなさい」と教化親が教えたら、教化子がしばらくして「毎日教えられた通り、一本は線香を食べていますが、とてもそれ以上は食べられません」と答えて驚いた。あるいは「毎日必ずお看経(かんきん)をしなさい」と言ったところ、相手は「毎日換金(かんきん)せよとは何と大変な宗教だと思った」と、これも後になって告げた、等です。

 

これらは少し極端な例でしょうが、でも、私たちがもう「当たり前のこと」と思って何気なく使っている言葉の一つひとつが、相手には理解できていなかったり、誤解を招いていたりすることが結構あるものなのです。

 本当の意味で「私も新人信者のつもりで」ということは、実際には余程の努力を要することだと存じます。「お看経をいただく」という最も基本的な言葉でさえそうなのです。

 


さらに言えば、自分でも本当にしっかりその意味や意義がわかっているか、実際に出来ているか、考えてみれば心もとない限りです。用語だけではありません。総じておたがいの信行生活全体、ご奉公の姿を「位弥下の心」でもう一度見直してみることも、お役中にとってとても大切なことではないでしょうか。

 

 

 

「一緒に入門」「できたてほやほや」の心で


○度(ど)しがたい凡夫(ぼんぶ)を救済せんとの慈悲


先月は「『無智の信心』を大切に」、というテーマで「無智宗」の本来の意味、智慧と知識の問題、「妙の世界へ入る」のは「いのちといのちの感応」だということ等について記しました。

  今月は「元来罪障が深くてが度(ど)しがたく、救済しがたい末法の凡夫を、何とかして救い、成仏へ導こうとして、み仏がお説きくださったのが最高真実の教えである法華経であり、さらには本門八品所顕上行所伝本因下種のお題目であること」と「ご信者、特にお役中がこの『位弥下』の教えをいかに体認し、後進のご信者や法燈相続に臨むべきであるか」について記したいと存じます。


  「教弥実位弥下」とは『摩訶止観輔行伝弘決(まかしかんぶぎょうでんぐけつ)』(妙楽大師)という、天台大師の『摩訶止観』を解釈した書に示される語で、「正(まさ)しく権実(ごんじつ)を判ず、教弥実(きょういよいよじつ)なれば位弥下(くらいいよいよくだ)る。教弥権(ごん)なれば位弥高し」とあるのに拠(よ)ります。

 要は、み仏の教えも真実の教えであればあるほど、その教えで救われるのは能力の劣った下根下機(げこんげき)の人にまで及ぶ、反対に教えが方便(ほうべん)・権教(ごんきょう)であるほど、その教えで救われるのは能力の優れた人に限られてくる、ということで、実教と権教の「救済力の違い」を判定される御文です。

  お祖師さまはこれに基づきつつ次のように仰せです。

「教弥(いよいよ)実なれば位弥下れりと云ふ釈(しゃく)は此意(このい)也。四味三教(しみさんぎょう)自(よ)り円教(えんぎょう)は機(き)を摂(せっ)し、尓前(にぜん)の円教より法華経は機を摂し、迹(しゃく)門より本門は機を尽(つく)す也。教弥実位弥下の六字に心を留(とど)めて案(あん)ずべし。(乃至)止観第六に云く、前教(ぜんきょう)の其位(そのくらい)を高くする所以(ゆえん)は方便の説なればなり。円教の位下(ひく)きは真実の説なればなり。弘決(ぐけつ)に云く、前教といふより下(しも)は正(まさ)しく権実(ごんじつ)を判ず。教弥実なれば位弥下く、教弥権なれば位弥高き故にと」

(四信五品抄・昭定1296頁)



右の御文の原文はすべて漢文で、ここでは訓み下しで拝見させていただきました。少々難しいと存じますが、大切な御文ですのでまず頂戴しておきます。御文の中の「弘決(ぐけつ)に云く、前教より下(しも)は」の意味は、先に紹介した『摩訶止観輔行伝
弘決』の文言の引用で、「摩訶止観の原文で『前教の其位云々』とある以下の一文の意は、権教と実教の救済力の違いを判定しているもので、これを要約すれば教弥実位弥下(きょうみじついみげ)、教弥権位弥高(きょうみごんいみこう)ということだ」ということです。その他の文言の一つ一つの説明は省略いたします。

要は、教えが真実であればあるほどどんな救い難い者でも救うことができる。それは法華経本門の教えに極まり、御題目こそ真実の中の真実の教えであるから、どれほど能力の劣った下根下機(げこんげき)・三毒強盛(さんどくごうじょう)の末法の凡夫でも成仏へと導くことができる力を有している。いいかえれば、私ども末法の罪障の深い凡夫のすべてを救済できる経力を有するのは上行所伝の御題目しかないということです。


  この権教と実教に対する判定は、一見反対ではないかとも思われます。つまり、教えが高度になればなるほど優秀な者でなければ理解できず、劣った者にはそれなりの初歩的な教えが適しているのではないか、というわけです。けれどもそうではないのです。なぜならこれは教えの「救済する力」についての判定なのです。そのことが理解し易いよう、古くからいろいろな譬喩が用いられます。

 例えば、薬についていえば、軽い病気や怪我ならちょっとした売薬や消毒で十分対応できるし、体力や免疫力の高い人なら少々の疾病などはほおっておいても自分の力で治すことができる。ところが重病・重症ともなればそれなりの医療・投薬・手術などが必要になる。ましてや、難病や重篤な症状ともなれば、これは最高の対応が求められる。末法の衆生はいわば重病中の重病で、しかも自身の体力も気力も免疫力も最低の状態であるから、どうしても最高の薬・医療を施す必要がある、というわけです。
ここでは御題目こそ最高この上ない良薬であり、どんな重病も治すことができるのだということを、疾病の程度と用いる薬との対応関係に譬えるのです。いわゆる「応病与薬(おうびょうよやく)」ということから、劣った者にこそ救済力の優れた真実の教えを施す必要性を説くのです。

  また別の譬えでは太陽の高さと、その光の届く範囲にも擬(ぎ)せられます。つまり、高度の低い朝の太陽の光は高い山の頂上などしか照らすことができないが、南中して真上に昇った太陽の光はどんな深い谷底にまでも届く、つまり、最も低い場所、どん底の衆生にまで救済の光を及ぼすというのです。
  ここではもちろん南中した太陽の光が御題目の経力に、それ以前の低い位置の太陽の光の及ぶ力が法華経以前に説かれた方便・権教に比せられているのです。ちなみに「方便」とは「真実最終の目的に導く手段手だて」の意で、ここでは「さし当たっての手当としての応急処置、教え」というほどの意です。「権教」の権は仮()りという意で、ここでは「真実ではなく、そこに至る手前の教え」というほどの意です。方便にせよ、権教にせよ、真実の教えではなく「当座の便宜的な処置」ですから、実教・御題目ほどの救済力はないのです。


○「易しさ」も大切な要件


  また、大学生ほどにもなれば相当な理解力を持っていますから、ちょっと教えられたり、ヒントを与えられたりしただけでも、いわば一によって十を知る、ということもありますが、小学生の理解力、ましてや幼児ともなればとてもそうはまいりません。よほどかみくだいて分かり易く、十全な教えでないととても手に合いません。「真実最高の教えである御題目をただ信じ唱えるだけで成仏という最高の果報がいただける」という「易(やさ)しさ」も「教弥実位弥下」の教えの大切な要件になってくる理由です。
  この視点から見ると、当宗の特色を示す、いわゆる「十二宗名(しゅうみょう)」についても、例えば先月学んだ「無智宗」「信心宗」はもとより「易行宗」や「経力宗」、さらには「名字即(みょうじそく)宗」「口唱宗」「事相(じそう)宗」等すべてに通じ、関連するのが「位弥下」の教えだということに気がつきます。

  凡夫の凡智を捨て、我(が)を捨てることによって仏智をいただく(無智宗)。それも信心によってそのすべてがいただける(信心宗)。それもただ御題目を受持信唱する(口唱宗)という易しい修行でよい(易行宗)。理論では解らず信ずることができないところを妙法の経力つまりご利生によって信じさせていただく(経力宗)。心のありようを正すことからではなく参詣し、実際に口に唱える、つまり姿形(すがたかたち)から入っていく(事相宗)といったことのすべてが、だれでもできて、だれもが得心し腑(ふ)に落ちて、結果だれもが大果報に与(あずか)れる、ということに照準を合わせているのです。「名字即」というのも、極く大雑把にいえば、めい想や観法などによって悟りを開くことのできる能力を持(これを観行即位[かんぎょうそくい]と申します)たず、悟りの中味も何も全く解らず、「ただ信じて御題目の名前(名字)だけを唱えることしかできない位」を申します。そんな下位・下機の凡夫である末法の私共をいわば正客(しょうきゃく)にしてくださるのも、正(まさ)しく「位弥下」の教えだからこそなのです。

実際的・具体的な、現代のお互いに即した「位弥下」のありようについては次号で記したいと存じます。


・付記

十二宗名(じゅうにしゅうみょう)覚え方の文

過去宗(かこしゅう)・下種宗(げしゅしゅう)・経王宗(きょうおうしゅう)

事 相(じそう)・無智宗(むちしゅう)・信心宗(しんじんしゅう)

易 行(いぎょう)・経 力(きょうりき)・口唱宗(くしょうしゅう)

名字即宗(みょうじそくしゅう)・位弥下宗(いみげしゅう)

直入法華折伏宗(じきにゅうほっけしゃくぶくしゅう) 


※経王宗=本門経王(ほんもんきょうおう)宗   

※位弥下宗=教弥実位弥下(きょうみじついみげ)宗


門祖日隆聖人御聖教【「十二宗名」の出典】

「日蓮宗と云者、過去宗也、下種宗也、本門経王宗也、事相宗也、無智宗也、信心宗也、易行宗也、経力宗也、口唱宗也、名字即宗也、教弥実位弥下宗也、直入法華折伏宗也。」

(十三問答抄上巻、在世下種ノ事・宗義書第二巻16頁)

 

○「無智宗」(むちしゅう)の教えの意味とその大切さ


―人間の知識の危うさを知って―


  前回まで三回にわたって「参詣の大事」のテーマで、「道場の能所(のうじょ)」や「親近(しんごん)と給仕(きゅうじ)」等について記しました。今月は当宗の信行における「無智の信心」の大切さについて申しあげます。特にお役中は「無智」の意味を誤解のないよう正しく理解していただき、それを踏まえて他のご信者を指導していただきたいのです。

 さて、ご承知のように、人間のすぐれた点は、あらゆることを考える知能を持っていることです。そのおかげで万物の霊長として地球上のあらゆる生物に君臨し、高度な文化や文明を築き上げて繁栄してきました。特に科学技術の発達は目覚ましく、私たちはその大きな恩恵を受けています。

  しかしその反面、環境は汚染・破壊され、核の脅威や資源の枯渇、地球の温暖化や貧富の格差の増大、社会・経済の不安、戦争・テロ・犯罪等に脅(おび)えているのも厳然たるお互いの姿であり、しかも依然として明日の自分の運命さえ知ることができないのです。人智の危うさ、頼りなさをよく知らねばなりません。

  よく考えてみれば、凡夫の智恵・知識は、基本的に自己本位であり、貪欲(とんよく・我欲)を根として働いているものです。そしてそうである限り、働かせれば働かせるほど争いが激化し、ついには互いを不幸や破滅に導くものなのです。み仏はそうした浅ましい人間の姿を「不択禽獣(ふじゃくきんじゅう)」(禽獣(きんじゅう)を択(えら)ばじ・譬喩品)と示されています。餌(え)を争い、共食いすら辞さない猛獣や猛禽の類(たぐい)と何ら異ならない、いや高度な技術を持つだけなお危ういと仰せなのです。こんなお互いが真実の幸福に向かう方法は、貪欲を根とする凡夫の智恵の働きをとどめ、素直正直な心になってみ仏の大きな智慧をそのまま無条件でいただくほかないのです。

 開導聖人が御教歌に

 末法は智慧をとゞめて信をとり となへて妙の門に入るなり

(てこのかたま 扇全十五巻一三七頁)

 とお示しなのは、まさしくこのことをお諭しくださるのです。

  門祖日隆聖人は、当宗の特色を十二の宗名(しゅうみょう)としてお示しくださった(いわゆる「十二宗名」)のですが、その中で「無智宗」「信心宗」と仰せになられたのは、まさしくここのところを指しておられるのです。

 つまり無智宗の「無智」とは、貪欲を本(もと)とする凡智(私[わたくし]・我[が])の働きをとどめよ、ということです。しかも仏智・仏慧(ぶって)は凡智で理解しようとして理解できるものではなく、ただ信ずることによってのみいただけるものですから、信心こそが唯一のいただく秘訣(ひけつ・信心宗)なのです。仏弟子中で智慧第一といわれた舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)ですら、自分の智慧を捨て、信心をとることによってはじめて成仏を果たされます。法華経譬喩品(ひゆほん)で「汝(なんじ)、舎利弗すら、尚(なお)この経においては、信を以(もっ)て入ることを得たり。(乃至)己(おの)が智分(ちぶん)にあらず。(汝舎利弗 尚於此経 以信得入[いしんとくにゅう]〈乃至〉非己智分[ひこちぶん]」と示された通りです。

  ましてやお互いは尊者にも遠く及ばない末法の凡夫です。日蓮聖人はこの大事を「慧又堪(えまたた)えざれば信を以て慧に代(か)へ信の一字を詮(せん)と為す」(四信五品抄[ししんごほんしょう])と仰せです。戒律を守る等の六度行(ろくどぎょう・六波羅蜜[ろくはらみつ]を行ずる修行)など全く手にあわない凡夫にとって、み仏のお悟りのすべてがこめられた御題目を受持信唱するだけの一行で、み仏の智慧のすべてがそのまま私共に頂戴できるというのは、最後に遺(のこ)された誠に有難い大慈悲の極(きわ)みではありませんか。


習い事でも、上達の秘訣は、できれば最初から優(すぐ)れた先生について指導を受け、教え通りにそのまま身に付けていくことです。もし先に自己流の悪いくせが付いていれば、まずそのくせを取り除きながら、正しい技法や心得を修得してゆかねばなりません。我流を捨て切れなかったり、誤った教え(それは、いわゆる“世間の常識”であることもある)に左右されていては、真の上達はおぼつかないわけです。素直さと、信じて貫いていく心こそが上達と成長の基本であり、生きたものごとのまん中にすっと入っていく心なのです。


○智慧と知識

―いのちの世界に入るには智慧・霊性―

  「無智が大事」というのは「何も学習する必要がない」とか「科学技術など全く無用だ」という意味ではありません。そうではなくて人生を生きていくための本当の智慧や、「いのちといのちの世界」での感応と申しますか、まん中に入っていくあり方というのは、いわゆる世法上の知識や技術、論理とは別の次元だということです。読み書きや計算や機械の操作や、そういった知識や技術も現実の暮らしの中ではそれなりに必要であり、大切なのです。子どものときからの様々な勉強も学習の努力も、もとより大切であり、決して無用だなどと言っているのではありません。とても大切ではあるけれど、でもそれとは別の次元で、正しい人生を歩むための智慧の体得が必要なのであって、これが無いと知識も技術もほんとうの意味で正しく活かされず、人生の真価も発揮できなくなるというのです。

  例えば、同年代の日本人の子どもと、東南アジアの貧しい国の子どもとを較べてみましょう。確かに学科の知識などは日本人の子どもの方が段違いに優れているでしょう。しかし仮に自然の中で生活させてみたらどうでしょう。反対に、東南アジアの子どもたちの方がずっと高い生活能力を発揮するのではないでしょうか。それは自然に対する感受性や生きる力や智慧の違いでしょう。

 み仏は、いわば人類に対する「人生の導師」とも申せます。時代も国も超えて、人が幸せに生きるための深い智慧を教えてくださっているわけです。この「いのちある世界」と人間とのあり方、つまり「人と人との魂の感応」、「み仏の魂と人との感応」といった「いのちの世界」は知識だけではどうにもならないのです。

  中沢新一氏が河合隼雄氏と対談した『ブッダの夢』(朝日新聞社)という本の中で次のようなことを記しています。中沢氏がチベットで仏教を研究していたころのことです。

 当時欧米の学者も仏教に関心を寄せ、新進気鋭の学者が何人も研究に来ていたのですが、その人達に対してチベットの僧がこういうのだそうです。

「あの人たちは確かに語学にも秀れ、自分たちよりずっと分析能力がある。だけど肝心のところがわかっていないなあ」(取意)

 また夏目漱石の小説『行人』の主人公である大学教授「一郎」が思想や哲学を専攻していながら、最も身近な妻の心がついに信じられなくて悩み、「自分はいわば地図の上で地理を調査するばかりの者で、現実に自分の足で山河を跋渉(ばっしょう)する実地の人にはついに及ばない。自分は頭の中で物事の周囲を回ってばかりいる迂闊(うかつ)者だ」(取意)と表白するのも同じです。 

 本物の智慧はいわゆる知識とは別次元だというのはそういうことです。


○「土手の人」にならぬよう


 中西悟堂(ごどう)氏(故人)が『アニマ』という雑誌に「土手の人」という題で記していた随筆が、ある本に紹介されていました。その内容をかいつまんで紹介します。

 新潟県に瓢湖(ひょうこ)という小さな湖があります。この湖で、従来、学問的には不可能だとされていた野生の白鳥の成鳥の餌づけに成功したのが吉川重三郎(故人)という老人です。 

  この老人は、ある冬の日、飛来した野生の白鳥の姿を見てすっかり虜(とりこ)になってしまい、以来毎年とりつかれたように餌づけを試み、ついに成功したのです。

 老人はただ白鳥が大好きなだけで何の知識もありませんでしたから、餌に何がいいかすら分かりません。それでも、いろいろ工夫をこらし、ついに種モミに茶ガラを混ぜた餌を好むことをつきとめて、あとはひたすら湖に通い続けました。自分の姿も、いつも同じ野良着にし、人に笑われたり、ついには狂人扱いされたりするのも一切意に介せず、来る年も来る年も、まるで馬鹿のように繰り返したのです。そしてついに学会の定説をくつがえして見事に餌づけをしてしまったのでした。


  こうなると瓢湖は一躍有名になり、観光の名所にもなって県でも力を入れ始めました。あるとき、大きな調査の会がありました。当日は環境庁(当時)の専門の役人や野鳥の会の会員、生物学等の専門の先生などが多数集まりました。その前で吉川老人が土手を下りて白鳥に例の餌をやる。「コーイコイコイ」と声をかけると湖のあちこちに散っていた白鳥がスーと一斉に集まってくる。けんかをしても、老人が叱るとピタッとやめる。とにかく白鳥と老人との間には絶妙の呼吸があるのです、そこで今度は、土手の上で見ていた専門の人たちが老人のまねをして声をかけ餌をまいてみました。ところが老人以外の者がやると、今度は一斉にくるりと向きをかえて白鳥が逃げていってしまうのです。


  老人は文字通り無学なお百姓で、学界の常識はもとより、何の専門知識もありません。これに対して“土手の上の人たち”は専門家で鳥や自然の知識も一般の人よりずっとあるのです。例えば白鳥の渡りのコースとか、繁殖地とか種類などみな知っている。ところが現実に生きた野生の白鳥と心を通わせられるのは、この無智な老人だけ。これはもう、白鳥に対する心のありようの違いとしか申せません。いのちといのちとの交流・感応には単なる知識や理屈は通ぜず、ただ信じ貫く心と実践しかないという実例です。「凡智をとどめ、無智となってこそ仏智がいただける。それも信を貫くことによってのみ可能だ」との「無智宗」の教えはこういう意味なのです。

 み仏の偉大な智慧をいただくのに、凡夫の知識や理屈は邪魔にこそなれ全く役に立たない、ただ素直な信心を貫くありようのみが通ずるのです。


  何事においても力の及ぶ限り努力し、工夫を重ね、学び続けることは大切です。吉川老人も随分工夫・努力をしています。私共信者が御法門を繰り返し聴聞するのも大切なのです。しかし、もっと根本的に大切なのは、そのもととなる心に仏智をいただこうという姿勢です。正しい信心(妙法の受持信唱)を根として心を働かせ、実践・実地を重んじて暮らしていくことが大事なのです。

 開導聖人は御指南に仰せです。

「愚者(ぐしゃ)はならぬこともなるやうと願ふ心の有(ある)故に[乃至]一分(いちぶん)の智もあらねども自然(じねん)と其意(そのい)に当る也」

(十巻抄第一 扇全十四巻三八一頁)

「信の境(さかい)に入るは無智に限る也。妙は信より外に難入(なんにゅう)也」  

  (同 扇全十四巻三八一頁)

「信の境に入る」とは信心の極意を会得(えとく)するということです。それは凡夫の知識・分別を捨てて無智の信心に住する以外にはない。いざとなったら常識も我(が)も捨てて、御題目にすがり切っていくとき、はじめて真の妙法の経力をいただくことができるのだと仰せです。


  学者が不可能と断じていた野生の白鳥の成鳥と心の交流ができたのは、無学な吉川老人だけ(今は息子さんが継いでいる)でした。上行所伝の御題目は久遠(くおん)のみ仏の魂ともいのちとも申せます。このみ仏のいのち(妙)と末法の凡夫である私たちとが、「いのちの感応」をさせていただく道も、凡智を捨て妙法を無味(むみ)信唱させていただく以外にはないのです。それができず、常識とか分別とか理屈で臨(のぞ)もうとしていては、ついに「土手の人」で終わるしかないのです。知性の力(知識的理解)では入ることができないのが「妙」の世界なのです。 

 御妙判(日女御前御返事・昭定一三七六頁)に

「此御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは此(これ)也。日蓮が弟子旦那等(乃至)無二に信ずる故によて此御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」と仰せです。


  生きたいのちの核心にすっと入って感応が得られるか、周辺をめぐるのみの観察者・傍観者に終始するか、これは例えば人間関係をはじめあらゆるものごとにおける決定的な相違点となります。

 お役中は、「無智宗」の教えの真の意味を正しくいただき、無智の信心の力の素晴らしさ、偉大さをまず自身が感得させていただくとともに、他のご信者にもこのことをよく伝えさせていただきましょう。当宗のご信心の核心の一つなのですから。

「智者学匠といふとも凡夫也。舎利弗に及ばぬこといふ迄もなし。」

(十巻抄第一・扇全十四巻三八〇頁上)

 

―給仕(きゅうじ)について―


○「参詣」の要素②……「給仕」 


前回は「参詣」の要素①として、「親近(しんごん)」について申しあげ、同時にその注意点として、親近によってややもすると陥りかねない「悪狎(わるな)れ」「馴(な)れ馴れしさ」を戒めることの大切さ、恭敬(くぎょう)の心を失わないためにも「冥(めい)の照覧(しょうらん)」の教えを頂戴すべきことを申しました。
この「冥の照覧」について少し付言しておきたいと存じます。

  元来「冥の照覧」の教戒は当宗の信行全般にわたる基本的な心得事の一つで、それは例えば「宗風」の第二号「受持(じゅじ)」の条文に「……本尊の冥の照覧を信じ、口唱を正意(しょうい)として妙法経力をたのみ、給仕第一とつとめ、受持の一行に徹する」と明記されていることからもよくわかります。ちなみに宗風の「受持」は、「信心の七宝」の中の「信」に基づきつつこれを当宗に即した内容として条文化されたものですから、当宗の信心つまり妙法受持の大切な要素だということです。なお「身(しん)・口(く)・意(い)三業(さんごう)による受持」に配当すれば、「口唱正意」は口業(くごう)に、「冥の照覧」は意業(いごう)に、「給仕第一」は身業(しんごう)による受持にあたります。

 開導日扇聖人も御指南に仰せです。

①「自(おのずか)ら人目を謹むと云へども、全く冥の照覧を恐れず。此一句を常に口ずさむべし」     

(御法門書・扇全八巻254頁)  

②「智者愚者によらず、冥の照覧を恐るゝものなれば信者也。御弟子旦那也」

       (当世講要・扇全十四巻260頁)

  なお、中国でも元来は『礼記(らいき)』の中の各編の一つであった『大学(だいがく)』と『中庸(ちゅうよう)』にそれぞれ「君子(くんし)は必ず其の独(ひと)りを慎むなり」(大学)、「君子は其の独りを慎むなり」(中庸)とあって、立派な徳のある人は、他人の目のないときこそ自らの行為やあり方を慎むものだとされます。「小人(しょうじん)は閑居(かんきょ)して不善を為(な)す」(大学)に対する語で、こうした訓戒は世法(せほう)においても広く存在してきたものです。「冥の照覧」は佛立信心の上からのさらに徹底した教えであるわけです。


  お役中は、まず自身がこの「冥の照覧」を忘れぬように努めさせていただくことが大切なのです。法華経には「諸天昼夜(ちゅうや)に常に法の為の故に而(しか)も之(これ)を衛護(えいご)す」(安楽行品)と示されていることはよく知られていますが、常に見そなわしておられるということは、お互いにとって都合のいいことだけをご覧になっているばかりでなく、都合の悪い行為や思いもすべてお見通しだということです。ご守護も「法の為の故に」なのですから、それも忘れてはならないと存じます。

「お給仕」も、そこに「生身(しょうじん)のみ仏」「生身のお祖師さま」がおいでだと思って、つまり「在(いま)すが如く」(如才(じょさい)なく)させていただくということがまずは大切なわけで、「冥の照覧」の教えは「給仕」においても大事な心得事だと申せるわけです。


○「給仕」……「法の給仕」と「人(にん)の給仕」


  先月の「親近(しんごん)」において、「参詣は、道場に親近し、御宝前・み仏に親近し、御住職・お教務・ご信者方(つまり善師・菩薩方)に親近し、お仕え(お給仕)することでもあるわけです」と申しました。つまり参詣の中に自ずから親近もお給仕も伴っているのです。

 み仏のご在世の時は、み仏の許(もと)に参詣し、お給仕・ご供養をさせていただくわけですから、その給仕は基本的に「人」(にん)(み仏)に対するものがそのまま「法」に対するものとなるわけで、給仕をことさら人(にん)・「法」(ほう)に分けて考える必要はなかったと存じます。しかしみ仏のご入滅後となれば、み仏の説かれた法と、それを説く人との別が生じてくるため、給仕にも人法(にんぼう)の一応の区分ができてまいります。もっとも日蓮聖人は次のごとく仰せです。

「又妙法の五字を弘め給はん智者をば、いかに賤(いやし)くとも上行(じょうぎょう)菩薩の化身か、又釈迦如来の御使(おんつかい)かと思(おもう)べし」

      (法華初心成仏抄・昭定1422頁)

  「(今末法の世に)妙法五字の題目を弘通してくださるお方は、真の意味の智者なのであり、たとえその身分や外見が拙(つたな)くとも、その方は本仏の御弟子である本化(ほんげ)上行菩薩がお姿をお変えになった方か、もしくはみ仏の御使(如来使(にょらいし))かと感得して、お敬いさせていただかねばならない」とのお意(こころ)です。


釈尊入滅後二千年より後の末法の世には、もちろん釈尊ご自身はおいでではないけれど、上行所伝の御題目を弘通する者すべてが本化の菩薩・如来使である、ということは、佛立教講こそそうなのだ、ということです。

お役中はまず自身がその自覚を持つと同時に、他の教講に対しても菩薩・如来使に対する敬いとお給仕の心を持たせていただくことが大切なのです。末法現代においての「人の給仕」の基本的な心得はここにあると存じます。法華経提婆達多(だいばだった)品第十二には、釈尊が前世に王として法華経を求め、阿私仙(あしせん)という仙人に師事(しじ)する姿がとても具体的に示されています。次の通りです。


「王、仙の言(ことば)を聞いて歓喜踊躍(かんぎゆやく)し、即ち仙人に随(したが)って所須(しょしゅ)を供給(くきゅう)し、果(このみ)を採(と)り、水を汲(く)み、薪(たきぎ)を拾(ひろ)い、食(じき)を設(もう)け、乃至身(ないしみ)を以て狀坐(じょうざ)と作(な)せしに、身心倦(しんじんものう)きことなかりき。時に奉事(ぶじ)すること千歳(ざい)を経て、法の為の故に精勤(しょうごん)し給侍(きゅうじ)して、乏(とぼ)しき所なからしめき」

(開結344頁)

 お祖師さまも、そのご晩年の「身延山御書」に右の御文やその後の偈文(げもん)を引かれています。

「爾(そ)(そ)の時に阿私仙人と申す仙人来(きた)って申しける様は、実(まこと)に法を求め給ふ志御坐(こころざしおわさ)ば、我が云はん様に仕へ給へと云ひければ、大(おおい)に悦(よろこ)んで、山に入っては果(このみ)を拾ひ、薪(たきぎ)をこり、菜(な)をつみ、水をくみ、給仕し給ひける事千歳也。常に御(おん)口ずさみには、情存妙法故身心無懈倦(じょうぞんみょうほうこしんじんむけけん・情(こころ)に妙法を存(ぞん)ぜるが故に身心懈倦(しんじんけけん)なかりき)とぞ唱へ給ける。文(もん)の心は、常に心に妙法を習はんと存ずる間(あいだ)、身にも心にも仕(つかう)れども、ものうき事なしと云へり。此(かく)の如くして習ひ給ひける法は即(すなわち)妙法蓮華経の五字也。爾(そ)の時の王とは今の釈迦牟尼仏是也。仏の仕へ給ひて法を得給ひし事を、我朝(わがちょう)に五七五七七の句に結び置きけり。(乃至)『法華経を 我が得し事は薪(たきぎ)こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし』(乃至)実(まこと)に仏になる道は師に仕ふるには過ぎず」     

(昭定・1917頁)


  法華経の御文には「精勤給侍」とありますが「侍」は「はべる」と訓(よ)み、近侍、侍者等と熟字するように、主人や師匠等の身近にはべり、つかえる意ですから、仕と同意です。なおここにも「給仕(侍)」と「親近(しんごん)」との元来の一体性がうかがえます。

 お祖師さまご自身が、法華経の御文を頂き、その教えのままに自ら御宝前にお給仕されたことが拝せられるわけで、私共もまずこのみ教えをそのまま頂戴させていただくことが大切なのです。先に引用した宗風第二号「受持」の条文に「給仕第一とつとめ」とあるのも、この教えをいただいたものに他なりません。


  私共佛立教講が、教務がお師匠や先輩お教務にお仕えし、ご信者がお導師・お教務方や他のご信者方にお給仕させていただく(人の給仕)と同時に、御宝前に唱題の音声(おんじょう・御法味(ごほうみ)をお供えし、毎日お掃除をさせていただき、お初水やお供え物、香華等(法の給仕)のお給仕を第一として大切にさせていただくのも同じ心、同じ姿なのです。


○「朗門(ろうもん)の三則」


―給仕第一、信心第二、学問第三―

 お祖師さまのお弟子の中でも最上足(じょうそく・高弟)の六師を「六老僧」と申し、その一人である日朗(にちろう)苦薩の門流を「日朗門流」「朗門」と申します。日朗(筑後[ちくご]房)は、お祖師さまの最初の弟子となった日昭の甥で、日昭が弟子となった翌年(建長六年)わずか数えの十二歳でお祖師さまの弟子となり、以来お祖師さまに近侍し続けた方です。立教開宗の翌年以来ですから文字通りお祖師さまのご弘通と共に歩まれたわけで、竜の口・佐渡のご法難の時も、捕えられ鎌倉で土籠(つちろう)に入れられています。伊豆のご流罪でも最後まで舟べりに取りつき、ために腕を折られていますし、佐渡へ赦免(しゃめん)(しゃめん)状を届けた(赦免の旨を通知した)のも日朗であったとの説もあります。ことほどさように近侍されたのです。佛立宗は他ならぬこの門流にあるわけで、この朗門流に伝わる大切な教えが「朗門の三則」つまり「給仕第一、信心第二、学問第三」の教えなのです。

 先に申しておきますが、この第一から第三という順番は、必ずしも価値(大切さの度合)の順位を示すものではありません。まず「給仕」させていただく。この給仕を通じてこそ正しい「信心」を感得させていただける。そしてこの信心を土台として学問をし、御法門を学ばせていただいてこそ正しい「学問」となるという順序次第を示す教えなのです。そういう意味でまず「給仕」が基本であり、大切・第一だというのです。

 前々号で記したように、当宗の信心は「信行」というように優れて身体的な面があり、行(ぎょう)を通じてはじめて感得でき「腑(ふ)におちる」面が基本的にあるのです。だからこそ、理屈から入るのではなく、身体性の強い「給仕」から入ってこそ正しい信心を感得し、正しい学問を得ることができる、という筋道を大切にするのです。「朗門の三則」はこのことを端的に示すものとも申せます。

 

○「参詣」の要素①……「親近(しんごん)
 
  前回は、当宗信行の根幹の一つである「参詣の大事」
(1)として、「道場の能所(のうじょ)」や「身体的に“に落ちる”こと」の大切さ、「(ば)」や「つながり」のあり方を見直すことの大切さを申しあげました。 今月は、「参詣」にともなう大切な要素である「親近(しんごん)」と「給仕(きゅうじ)」のうち、まず「親近」について申しあげます。

 はじめに高祖日蓮
大士(だいじ)の御妙判をいただきます。「法華経の文字は六万九千三百八十四字、一一(いちいち)の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども、仏の御眼(おんまなこ)には一一に皆御仏(みほとけ)也。[中略]玉泉(ぎょくせん)に入(いり)ぬる木は瑠璃(るり)と成る。大海に入ぬる水は皆鹹(しわゆゆ)し。須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色(こんじき)となる也。[乃至]何況(いかにいわんや)法華経の御力(おんちから)をや。」(本尊供養御書・昭定1276頁) 右の御文は建治212月、55歳のお祖師さまがご信者の南条平七郎に宛てられた御消息(ごしょうそく・お手紙)の一節です。 
  玉泉に入った木は、ただの木でも瑠璃と変じ、須弥山
(シュメール・妙高山とも。仏教の世界観の中央の山)に近づいた鳥は自然に皆金色の鳥になるといわれる。ましてや法華経の御本尊・御宝前に近づいた者は、それが凡夫であっても、御題目をお(たも)ちし、御宝前に親近した功徳は計りしれず、大果報を頂戴することができるのだ、と仰せです。「親近」は「親しく近づく」ことですが、「親」は「まのあたり」とも(よ)み、まのあたりにできる位置まで近づく意でもあります。参詣は、道場に親近し、御宝前・み仏に親近し、御住職・お教務・ご信者方(つまり善師・菩薩方)に親近し、お仕え(お給仕)することでもあるわけです。

  「親近」しなければ先月学んだような種々の功徳もいただけないわけですから、まず近づく、それもできる限り数多く近づき、できる限りおそばに居らせていただくことが大切なのです。
 法華経法師品に「若親近法師(にゃくしんごんほっし) 速得菩薩道随順是師学(そくとくぼさつどうずいじゅんぜしがく) 得見恒沙仏(とっけんごうじゃぶつ)若し法師に親近せば(すみ)やかに菩薩の道(どう)を得(え) 是(こ)の師に随順して学(がく)せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん)と示されるのはこのことを仰せなのです。(もっともここで「法師」とあるのは必ずしも出家の僧のみをさすのではなく、在家・出家にかかわらず、妙法を(たも)ちご弘通に励む人こそまことの菩薩・如来使であり、そうした人はすべて法師だとされています)

  ○「親近」における注意点・・「悪狎(わるな)れ」 

  正しいご信心、信行のあり方を学び、感得させていただくためには、道場に参詣し、御宝前に近づき、善き「法師」に親近させていただくことが極めて大切であることはこれまで申しあげた通りです。本堂や御講席などでも「できる限り席を前に進みなさい」と教えられるその理由も、御宝前から遠く離れた所で、御本尊も(まのあた)りに拝めず、御導師の顔も見えず、御法門の声も遠くて聞きとりにくいようではやはり残念です。参詣者や場所の関係でやむを得ないときは致し方ないでしょうが、前に進もうと思えば席もあるのに、遠く後ろの席を好むのは「親近」ではなく「遠離(おんり)」で、もったいないですね。遠慮も時と場合によるわけです。厚かましさとは別です。できるだけ早く参詣して、親近できる場所を求めるのが本来の姿です。  自分の好きな映画や観劇なら、自然に欲も出て親近するはずです。お役中は、まず自身が「親近」の大切さをよく感得し、組(部)内一般のご信者にも優しくそのことを教えてほしいのです。ただ「親近」にもつ注意点があります。それは「近づき過ぎて、あるいは近づいている間に、ついつい(な)れ馴れしくなってしまう」、「悪狎(わるな)れ」してしまうことです。

 誰しもあることですね。最初は「私のような者がもったいない」という気持ちがあり、緊張もし、相手を敬う心もあるのですが、しばらくして慣れてくると、緊張感も失われ、相手も身近になって「何だ、こんなものか」といった心が起こってきて、敬う気持ちが失せてしまうことがあるのです。「慣れる」ことはそれ自体決して悪いことではないのですが、それがいい意味での熟練・ベテランの方向に向かうか、悪狎れ、馴れ馴れしさ、慢心の方向に向かうかは、一にかかって本人の自戒の有無によります。

 人間関係でも、少し離れた遠くから見ていたときは、とても素晴らしい人だと思い、(あこが)れたり尊敬したりしていたのに、親しく近づいてお付き合いをさせていただいているうちに、今までは見えなかった人間くささや、欠点などが目に付くようになり、そうなると、憧れも尊敬もなくなり、「なあんだ、こんな人だったのか」などと急に心がさめて、敬うどころか反対に軽べつさえしかねない、そんなことがありますね。それは恋人が結婚して夫婦になったとき、職場の上司と部下、友人同志といった間柄でもありうることです。 でも、ほんとうの相手には、それでも優れた点もあり、尊敬すべき点や学ぶべき点は沢山あるはずなのです。近づき過ぎて(かえ)って見失ってしまうものがある。見えなくする心が自分の中に生じてしまうことがあるわけです。
 この点につき『論語』に次のような言葉があります。

(イ)(し)の曰(のたま)わく、民の義を務(つと)め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂(い)うべし」「先生はいわれた、『人としての正しい道をはげみ、神霊には大切にしながらも遠ざかっている。それが智といえることだ』」(岩波文庫ワイド版・118頁・雍也(ようや)第六)
(ロ)「祭ること在(いま)すが如くし、神を祭ること神在すが如くす」「御先祖のお祭りには御先祖がおられるようにし、神々のお祭りには神々がおられるようにする」(同書・59・八佾(はちいつ)第三)

 いずれも孔子の言葉で、儒教の教えですから、もちろんすべてをそのまま受取るわけではありませんが、参考として学ぶ面はあります。(ちな)みに(イ)は「敬遠」の(ロ)は「如在(じょさい)(如才)の語の典拠ともされます。「鬼」というのは、中国では元来亡くなった人の霊魂のことであり、「神」というのは「神霊」のことであって、いずれも生きた人間の力を超えた力を有するとされます。「それらを敬い大切にはするが、馴れ馴れしく近づいてもてあそぶことのないように」というのが「敬してこれを遠ざく」つまり「敬遠」の元来の意味なのです。現在の私たちの「煙たがって離れている」意とは随分違います。孔子は、決して「煙たがって離れていよ」と言っているのではなくて、むしろ「敬う心を大切にするため、あまり(な)れ親しんではならない」と言っているのです。

 
「如在」は「(いま)すが如く」という意ですから、祖先の霊や、神々をまつ・祀)るということは、姿は見えなくてもあたかも目の前にその方がおいでであると思い、その如くにさせていただくことが大切だ、と言っているのです。当宗でいう冥(めい)の照覧(しょうらん)(冥は冥闇の冥でうすぐらく、こちらからはさだかに見えないこと。顕(けん)・明(みょう)に対する語。み仏のお姿は凡夫からはそれと見えないが、み仏はすぐそばからすべてを明らかに御覧になっていること)と似た意ですね。「如才」は〈在〉が才〉に転訛したもので、「いつもそばにおいでだと思って油断しないこと」が元の意。これが転じて「如才なく」が「遺漏なく、油断なく」になったのです。
 孔子は「敬いを失くさぬよう、あまり近づかない方がいい」しかし、「そこに在すと思ってお祀りせよ」と言いました。しかし、当宗はそうではありません。「親近」しながら「恭敬(くぎょう)」せよ、と教えられるのです。何といっても親近しなければみ教えを感得し難いからです。ただその際やはり、近づき親しみ過ぎて悪狎れをしたり、慢心を起こしたりすることのないよう、これは十二分に(みずか)らを戒め、尊敬の心、恭敬の心を失わぬように注意をさせていただかねばならないのです。難しいことですね。そこに大切になってくるのが、み仏やお祖師さまのお姿はそれと見えなくても、すべて照覧なさっているという「冥の照覧」の教えであり、それを忘れぬようにしてこそ本来の意味での「如才ない」信行をさせていただくことができるのです。

 「給仕」については次回で申します。

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